E-BOMBERのアホアホブログ

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「新しい日本の歴史」はやっぱしあかんかった(47)

 「大正デモクラシー」の表題で以て教科書を書くんやったら、その時期がどんだけ民主的な社会やったかを書くんがスジやろう。風潮と実体とのギャップを伝えんで何の教科書やちゅうねんアホが。




 選挙干渉で内外の批判を浴びた第2次大隈内閣が倒れるに際して、大隈は外相加藤高明を後継首班に推してんけど、元老会議はナンバー2(政府ナンバー2とは違う)の朝鮮総督である寺内正毅を推戴し、帝も寺内に組閣を命じた。




 寺内内閣は「ビリケン内閣」と呼ばれた。ビリケンさん言うたら通天閣におって、足いろたらエエことあるちゅう縁起物扱いされてるけど、単に寺内伯がビリケンさんそっくりで、ビリケンは「非立憲」にかかってて、政党関係者が一人も入閣してへん上に、加藤友三郎海相以外は山県人脈の超然内閣やった。




 寺内は欧米が世界大戦で混乱しとるスキを突いて中国に触手を伸ばすが、これも大隈の21ヶ条に続いて中国との関係を悪化さした原因やないかと見られる。




 この頃、資本主義社会の発達に伴ってか、米価に上昇傾向が見られるようなった。それがシベリア出兵によってさらに拍車をかけられ、富山・魚津のおかんが北海道方面に移出されようとしてる米見て「その米売ってえな」て騒ぎ出したんが米騒動の始まりらしい。




 米騒動の研究書は「米騒動の研究」(井上清・渡部徹編)が名高いらしいが、それによると、米騒動の原因は、神戸の鈴木商店が米を大量に買い占めて米価を吊り上げ、それを輸出して暴利を貪り、しかもそれだけに留まらず、朝鮮米移入でも莫大な利益を挙げとるからと説明されてるらしい。この典拠は「新史流」(法政大学社会学歴史学研究会刊)創刊号で、法大生が米騒動の関係者からの聞き取り調査によって得られた証言集である。




 ところが、経済小説で名高い城山三郎は、神戸ではなお鈴木商店の評判の悪からぬことに気づき、鈴木が米騒動の元兇とされてることに疑問を抱くようになる。そこで、「新史流」の証言者に当たってみた所、鈴木が米の青田買いまでしとるちゅう証言の根拠が「大阪朝日新聞」の記事やったと知って愕然とした。鈴木が米価騰貴の最中に買い漁っとったんは米とちごて小麦やったちゅうことも分かった。(詳細は「鼠~鈴木商店焼き討ち」(城山三郎)を見られたし)




 実際、鈴木は米の輸出を米騒動の1年以上前から停止しとるし、米価騰貴に当たっては朝鮮米移入に転じた。それに、小麦買い占めの件は、売り手買い手の間の激烈な駆け引きがあって、買い手の鈴木とライバル関係にあった商社(三井などか?)が政界と大阪朝寝とかのマスコミのケツ掻いて鈴木攻撃に回った事実がある。




 それに、鈴木が台湾総督府民政長官時代に関係を築いた後藤新平内相は大阪朝寝の恰好の攻撃目標で、これに若槻礼次郎率いる憲政会が結びついて小麦買い占めを曝露するなど政府攻撃に利用したちゅうことを考え合わすと、藩閥政治政党政治も大して変わらんのと違うかとの感想を抱かざるを得んのである。それと同時にマスコミちゅうのんも昔も今もエエ加減やったちゅうことを改めて認識させられるわい。吉野作造の説いた政党政治も、今日の政党政治のテイタラクを見るにつけ限界があるんは改めて言うこともあらへんわな。橋下のコスプレ維新の会に過剰な期待はせん方がエエで。民主や自民はもっとあかんが。(つづく)