E-BOMBERのアホアホブログ

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「新しい日本の歴史」はやっぱしあかんかった(36)

 日本はやっと立憲君主制国家に進化してんけど、国の制度にはまだまだ問題があった。




 一つには帝国議会選挙の投票権の範囲の狭さである。直接国税15円以上を納める25歳以上の男子では、民意を十分に汲み上げることなど不可能やったろう。ところで、この直接国税について解説が欲しい。税金には徴収の主体の相違による国税地方税があり、納税者と負担者の相違による直接税と間接税があることを、これを機会にちゃんと教えんとあかん。まだ公民習てへん生徒も多いやろうから。




 「憲政の常道」の考え方が議会制度発足から程なく定着したことは特筆に値するこっちゃから、これについても丁寧な説明が必要やろう。しかも、わが国初の政党内閣である第1次大隈内閣(隈板内閣)を書かんとはどないかしとるわい。ただ、後にこの憲政の常道の考え方は閥族擡頭によってかき消されてまうが。




 さて、今一つの問題は「教育ニ関スル勅語」やが、孝行・友愛・夫婦和合・朋友の信・謙遜・博愛・修業習学・知能啓発・徳器成就・公益世務・遵法・義勇か。結構やないか。「一旦緩急アレバ云々」を軍国主義につながるとはどういう論理の飛躍じゃ?どこぞの国が攻め寄せて来たどないすんのんかを考えるんは当たり前のこっちゃんけ。もっとも、国が誤った方向に行こうとしとる時に国に殉じる気ィはわしには微塵もナイが、多くの元日本兵にはその自由すらなかってんな。




 それにやな、軍事教育を否定することこそ危険なこっちゃんけ。何でて、太平洋戦争は不可避やったんか否かを研究しよう思たら、軍事についての考察が欠かせんに決まったあるがな。いずれにせえ、1945年以前の制度を全否定して、それ以後の制度を全肯定すんのは賢明な判断とは言えんやろう。執筆者には、教科書やからと教育勅語について判断停止するんではなく、執筆者としての評価を求めたい。




 教科書が客観的な記述に終始しとっては、生徒には歴史を感得することが難しい。客観的記述は考古学の時代だけで沢山や。(つづく)