E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

「新しい日本の歴史」はやっぱしあかんかった(34)

 「戦争に勝つのに軍事力なんかいらん。核のボタン押すだけでしまいや」ちゅう発言は小学生までで卒業すべきである。核は敵国の国土をその住民もろとも灰にすんのには有効やけど、経済植民政策を有効に機能さすのんには、他国民を如何に有効に用いるかがその鍵を握んねんさかいの。それに、核つこた国は逆に核でやられる危険が増大する。せやさかい、核よりも通常兵器の方がより有効なんやが、通常兵器を充実さすにはゼニかかる。




 従って、明治の昔も平成の今日も、戦争に勝つには人とモノとゼニが必要であり、人を作るんが普通教育で、モノとゼニを作るんが産業である。天下り的に「富国強兵・殖産興業」やなんていきなり言われたかて分からん生徒は多いぞ。教科書はカシコとアホの両方を考えて作らんとあかんのだ。




 「江戸時代から培われてきた、優れた技術や勤勉な国民性」ちゅう平板な説明をしとるから分かりにくいねん。寺子屋や藩校による初等教育の普及、地方分権により治山・治水が進んで水資源の確保がでけたこと、それによって都市への人口集積が進んで労働力の確保が容易なったことをちゃんと書いたらんと、江戸から明治への時代の移り変わりを理解でけんままやぞ。




 廃仏毀釈のことは、既に奈良朝から始まっとった神仏習合について触れんことには語れん。これは神仏習合の廃止に伴う運動やったて言うとかんと、何のこっちゃ分からんやろが。神仏習合とか神宮寺は高校程度の事項かしらんが、これについての説明には絶対避けて通れん道やちゅうことを、教科書の執筆者は全然分かっとらんの。原因を抜かして結果だけを書くとは、歴史教科書作りの自覚に欠ける愚行である。




 明治政府設立当初に出た「五箇条の御誓文」は、その後起草者の意思を離れて一人歩きを始め、列侯会議設立は民選議院設立に変化した。法律や宣言の類は制定者意思を置いていくモンやちゅう好例であることを書かんと、将来法曹界を目指す中学生のためにならん。歴史があらゆる学問の基礎であることへの配慮が足りなさすぎるところも、この教科書のお粗末な点である。(つづく)