E-BOMBERのアホアホブログ

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「新しい日本の歴史」はやっぱしあかんかった(32)

 水戸さんが印籠見したら悪代官らが土下座して「へへーっ」ちゅうのんを外国人は理解でけんらしい。「あの印籠から放射能でも出てるのか」て聞いたときは大笑いしたが、戊辰戦争で錦旗出動には佐幕側が途端に戦意喪失したちゅうのんはこれと一緒で、日本人は非常に権威に弱いことを示すモンやろう。




 前回でも少し触れたが、五箇条の御誓文の「広く会議を興し云々」は帝国議会や現在の国会のようなモンを想定したんではなしに、官軍側についた大名らをメンバーとした裂肛会議いや列侯会議やちゅうことには注意を要する。同様に「万機公論に決すへし」の公論かて国民的な議論ちゅう意味やなしに、それは切れ痔の連中とちごて諸侯連中だけの議論やった。輿論に基づいた政治を行うちゅう意味では決してない(少なくとも福岡孝弟の証言ではそうである)。敗戦直後、吉田茂はこれを日本の民主主義志向の強いことの紛れもない証左と衆議院本会議で発言したらしいが、それと同様のあざとさをこの教科書からも感じる。




 ただ、明治政府はその後これを庶民にも与らしむるものであると拡大解釈をし、それがその後の帝国議会設立につながったことは事実ではあろうが、御誓文起草段階ではそうでなかったことは指摘されんとあかん。




 へてから、明治大帝の写真は殆ど残ってへんらしい。ここに載ったあるんは画家キヨッソーネの手に成る肖像画である。ちゅうのも、睦仁天皇は写真撮られると魂抜かれるてホンマに信じてて、絶対に撮らせへんかったそうやからや。これを写真やと誤解してる人が結構多いらしんで、瑣末ながらも一応注意しとこう。




 廃藩置県が達成でけたんは陸軍を背景にしてたからちゅうのんを書かんのはあかんがな。天子を持ち上げたい意図がありありと感じられる。明治天皇御事績はようさんあんねんさかい、そこまでムリしやんでもよろしがな。




 しかも、この廃藩置県の成功によって明治帝の陸軍びいきが始まり、これがその後の陸海軍対立と国防力の弱体化とを招き、敗戦の遠因になったことも指摘しとかんとあかん。




 こないして中央集権化が達成され、ようやっと近代国家の体裁が整った日本やが、現在では中央集権の弊害が指摘され、地方分権が再評価されてるちゅうことも書いた方が良かろう。(つづく)