E-BOMBERのアホアホブログ

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「新しい日本の歴史」はやっぱしあかんかった(31)

 幕末・維新となると、西郷隆盛の美化が定番やけど、案の定ここでもそれが平気で行われとるんがガマンならん。鹿児島人がしばきに来るんを覚悟しつつ、西郷を扱き下ろす作業を始める。




 西郷が戊辰戦争で勝利を収めることでけたんは、その緖戦で薩摩藩邸に集結した浪士らによる幕軍の挑発の成功によることが大きく、西郷はその作戦を指揮した後の赤報隊隊長小島将満(相楽総三)に足向けて寝られん立場にあった。




 一応言うとくが、「赤報隊」言うても、朝寝新聞○神支局を襲撃した極右犯罪集団とは違うど。奴らが赤報隊を僭称しとることに対して、相楽総三の子孫は不快感を示しているらしい。




 ところが、相楽が京都で編成した赤報隊が、租税半減の勅諚書を取り付けてて、これが彼らの運命を決めることになってしもたらしい。この勅諚がそのまま実施されたら国庫が逼迫するんは明らかやから、岩倉具視か西郷のどっちゃかが、彼らに偽官軍の汚名を着せて抹殺したと考えられる。それに、西郷個人としても、相楽ちゅう「官軍のヨゴレ役」を体良く始末でけるメリットもあったから、これはありそな話やないやろか(詳細は長谷川伸相楽総三とその同志」を参照せられたし)。




 それに、理由はどうあれ、征韓論に敗れた西郷が鹿児島に引っ込んで、同志を語らって西南の役を起こしたことは、どない言を左右しても取り繕えるモンとは違うやろう。さらに、私的なとこでは、西郷は嫁はんを3遍も取っ替えとんねんがな。こんなんで「天を敬い人を愛す」とは、ようもぬけぬけと吐かせたこっちゃのう。天をも恐れぬ暴戻無残の所業と言うべきか。




 西郷は確かに個人的には無私無欲の高潔な人ではあったやろうが、所詮は薩摩閥の巨頭であって、維新成業を如何に粉飾するかを立案実行すべき辛い立場にあったさかい、後世の研究によってその悪事が暴かれてまうことはある意味同情に値するがの。




 ともかく、捏造された偉人伝が健全な人格を形成すんのにどんだけの功罪があるんかは、科学的に検証されんといかん思う。(つづく)