E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

「新しい日本の歴史」はやっぱしあかんかった(27)

 相変わらずうんこ暑い(中島らも調)、いやクソ暑い大阪でブログ書くんは辛いが、やり始めたからには現代史のしまいまで行くど。これはもう意地や。




 安藤昌益の説いた農本主義についてさえもその論評を避けとる教科書て何やねん。先史時代であんだけ断定的な記述しとって、近世の思想について何も言わん教科書なんぞゴミ箱直行やぞ。




 昌平黌が東大の前身で、適塾が阪大医学部の前身て何で書かんねん?そない書いた方が生徒の刺激になって良かろうに。関係ないが、東大よりも阪大の方が入りやすうて淡路島近い。わしはミス花子のファンやった。




 豊臣猿面冠者の正室の世間一般の呼称が「北政所」や「高台院」とちごて「ねね」とか「おね」とかいう諱が通用しとることは、大阪人の端くれとしては残念至極である。しかもや、ドラマで出て来る北政所は普通の日本語で話とるが、その実は流暢な尾張弁丸出しやったことをせめてこのブログの読者さんには理解してもらいたい。




 わしゃ埼玉に4年も居ったさかい、兵庫丹波市出身の春日局のことをつい「春日部の局」(88年頃の「ご教訓カレンダー」(パルコ出版)参照)て言うてまうねんけど、彼女が将軍継嗣に推した家光よりも、駿河大納言忠長卿の方が良かったんちゃうんかなて思うんは「柳生一族の陰謀」とか「長七郎天下御免」とかの見過ぎなんやろか?




 うん。加賀千代をここに載したんは素直に評価でけそうや。この優れた句ゥは、わしが一生かけても詠めん。




 我が国の歴史教科書に載すべきは「フランスは1789年に近代を迎えましたが、我が国のそれは1868年まで待たねばなりませんでした。日本は百年近くも欧州に遅れを取りました。でもそれでエエやん」




今回ほどエエ加減な教科書批判は洋の東西を問わず滅多にあらへんやろうなあ。(つづく)