E-BOMBERのアホアホブログ

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「新しい日本の歴史」はやっぱしあかんかった(26)

 昭和後期の高度経済成長時代をホーホーの親父福田赳夫が「昭和元禄」と言うてたらしいが、一部の識者から、「元禄」とちごて「文化・文政」やろうちゅうツッコミが入った。どっちゃも江戸(東京)中心の文化やったし、大衆文化が主役やった点でも共通点がある。ほんでから、そこには大御所家斉同様、政治がどうしょうものうても庶民には文化があるとの皮肉も込められてると思われる。綱吉も結構えげつなかったやろうが。




 石田梅岩の心学を「正直、勤勉、倹約などの価値を世に広めた」ちゅうのは美化し過ぎやろう。




 江戸期は幕府の意に副わず商業の発展した時代やったが、商業ちゅうのんは、有限の大きさのパイをおのれがどんだけようさん食えるんかの競争やろう。現在めっちゃ調子エエて言われる中国かて、中間層は高々1億程度で、その公称人口13億を皆中間層にしようたかて、そないいっぺんにパイの大きさ増やそ思たかてムリやで。現に、北○鮮の金正日のアホは、コメの収量増やそちゅうて田ァに苗を通常の倍以上植えさしてんやんけ。ほんでも、収量が増えたんは最初のうちだけで、そのうち田ァが痩せてしもて却って収量が減ってんがな。先進国やった筈の現代日本かて、デフレ不況でパイが大きなるどころか小さなっとんねんがな。




 せやさかい、商いちゅうのんは、限られた大きさのパイの奪い合いでしかなかってんから、その行為そのものに「後ろめたさ」があんねんやんけ。聞くとこでは、石門心学ちゅうのんは、この後ろめたさをどんだけ正当化でけるんかを追究するための学問やったそうやんけ。当時の上方で評判なるわなそら。




 書誌学(bibliography)の手法を駆使して「古事記伝」を著した本居宣長の事績を貶める意図は毛頭あらへんが、「万世一系」て見たんか?周知の通り、皇室系譜のうち2-9代は所謂「欠史八代」で、その存在が確かめられてんのんは十代目の崇神天皇以降て言われとんねんがな。せやさかい、我が国の王朝には「神武王朝」「崇神王朝」「継体王朝」ちゅう易姓革命があった可能性あんねんがな。そんでも、我が国の皇室は古今未曾知前代未聞の16世紀続いただけでも諸外国からしたら瞠目に価するやろうに、何を取り繕うことあんねんな。




 世の慧眼の士は「継体天皇」ちゅう諡号について何も思わんけ?「継体」は「正統」ちゅう意味やが、何で態々「継体」て宣言しやんとあかんねん?応神天皇6世の子孫てちゃんと分かっとんねんやったら、改めてそない宣言しやんでもエエがな。現代でも、その実体が「土建屋農村党」であっても「自由民主党」を名乗り、原発事故の真相を隠蔽してても「民主党」やさかい、日本人のメンタルは16世紀を経てもあんまし進化してへんみたいやな。(つづく)