E-BOMBERのアホアホブログ

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「新しい日本の歴史」はやっぱしあかんかった(24)

 江戸時代は日本史にとって非常に重要な時期であると書いたが、それは農業政策の失敗をはじめとした、失政が繰り返されたちゅう点でもそうである。現代日本の外交・国防もお粗末極まりないが、その源流はどんだけ新しくとも江戸期にまで遡れるやろう。




 露使節ラクスマン・レザノフを相手にせんかったんは、鎖国政策が健全に機能しとったちゅう訳やが、アイヌが「場所」を築いてた樺太や択捉に砲撃を加えたんを放置したんは、現代の感覚からしたら余りにも牧歌的な対応てなるやろうな。せやけど、当時は日本だけやなしに、ロシアも欧州の諸国にも、主権やとか領土・領海とかの認識が殆どなかってんさかい、まあしゃあなかった。




 それに、日本がゴローニンを幽囚にし、同時期にタカダイ・カヒこと高田屋嘉兵衛の船がロシアに拿捕されたんやが、こんなん主権も何もあらへんかったことの証拠やろう。せやけど、その後も打ち続く諸外国との接触や衝突に際しても、神君家康公の遺訓に背くとして、鎖国政策に異を唱えることを憚る雰囲気を醸成させた幕閣は批判の対象になるやろう。無二念打払令があらへんかったら、モリソン号に対する砲撃の愚行もあらへんかってんさかい、これは結果論でも何でもあらへん。蛮社の獄などは愚行に愚行を塗り重ねたような沙汰で、日本人には黒船来航とか敗戦とか強烈な外圧が印加されんかったら自己変革もでけん致命的な欠点があることをここに認めやんとあかん。そういう批判に1行も費やさん教科書など読むに価せん。




 江戸期は総体的に寒冷な気候やったんで飢饉が頻発してその度に米価が上がったが、米価が上がったんをこれ幸いと、自国内の米が不足しとんのにコメを移出して儲けたれちゅう「飢餓輸出」も頻繁に起こった。これは米本位制の矛盾が招いた悲劇とも言えるが、ここにも武士道何ぞ欠片も見出せん。上杉鷹山などは、会津120万石から米沢15万石に大幅に減封された上杉家の悲劇の生んだ奇跡の大名であって、三百諸侯の殆どは安逸を貪ってたバカ殿やった。「薩摩にバカ殿なく彦根にバカ家老なし」ちゅう言葉があるが、これは要するにその他の藩では志村と桑マンみたいなコンビが藩政を取り仕切っとったちゅうこっちゃがな。




 余談やが、どんなにバカ殿であっても、藩政の柱である家老を捕まえて「おい、これじい、ふとんを敷け」やなんてことは絶対言わんかったやろう。(つづく)