E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

「新しい日本の歴史」はやっぱしあかんかった(23)

 田沼時代がようやっと終わって、白河楽翁定信の登場である。彼の主導した寛政の改革は時代に逆行したとあるが、それを具体的に書いてやらんと歴史の初学者には理解できまい。中学用の歴史教科書には、高校のそれ以上に紙数を割くぐらいでなかったらあかん。




 倹約令など、アナクロとか言う前に貨幣経済発達の実態を無視した愚策であるとか、棄捐令は永仁徳政令の失敗を忘れた失策であったとか、田沼時代に農村が荒廃してしゃあなしに江戸まで出稼ぎに来た人をムリから農村に帰す人返し令は、農村の荒廃に拍車をかけるだけの無策であったとか、分かりやすく書く方法はナンボでもある。この教科書の執筆者には、文章力のあらへんのんを寄って集めたんかて印象がある。




 それよりももっと不味いのんは、米本位制やの、鎖国政策やの、大船建造の禁令やの、わが国の経済と国防力の発展とを大いに妨げた、徳川タヌキ親父家康以来の一連の幕府による大失策を指摘せんことにある。この教科書書いた奴らと、こんなしょうもない教科書推薦しとる連中は、日本の愚民化政策に加担する国賊である。




 朱子学以外の学問を禁止した寛政異学の禁にしたとこで、田沼時代に人んちの座敷で小便したりババこいたりしてあかんようなった武士を矯正しようとしたことが狙いやったと書かんと、その政策の目的が読者に分かりにくいやろう。せやさかいわしは水上美濃守の災難を教科書載せれちゅうねんがな。何が「武士道」じゃアホめ。




 政治の腐敗は見苦しいモンやけど、景気の低迷や精神の自由の喪失や剥奪に比べたらまだマシやちゅうことを、江戸市民は「白河の清きに魚も棲みかねて元の濁りの田沼恋しき」と詠んで嘆いたんやちゅうことも書かな。世には全然ノート取らん生徒が結構ようさんおることも考えた教科書作りをしやんとあかん。




 家斉親政期も大御所時代も後世の歴史家の評判は悪いが、政府が贅沢三昧すると景気が良うなるちゅうことは、古今東西普遍的な法則みたいやな。国民は、政治の腐敗よりももっと大事なことに目ェ向けんとあかんことを歴史の教科書とかから学ばんとあかんのだが、その教科書が全然なっとらんのやからどうしょうもない。(つづく)