E-BOMBERのアホアホブログ

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「新しい日本の歴史」はやっぱしあかんかった(22)

 この教科書では、武士は「武士道」を以て自らを律しとったなんて書いとるが、少なくとも一部の武士には、武士道の微塵もあらへんかったことが、過去に読んだ「日本の美しい侍」(中山義秀)から窺える。




 田沼時代のことやが、江戸城西丸書院番頭(若年寄配下)に新任となった三千石の旗本水上美濃守は、「自分の組ではまいない(賄賂)など絶対受け取らん」と宣言したが、これが同僚の反感を買うことなってしもた。ある日、水上は同役先輩の小堀河内守から、水上邸で芸者寄合(要するに芸者上げてのどんちゃん騒ぎ)をするように命じられ、他6名の先輩(何れも三千石以上の旗本)も同席することになった。




 宴席が始まり、主人である水上の挨拶の後、大久保大和守が、当時毒物混入事件で忌み物になっとった栗饅頭を水上に勧めたところ、水上が「今酒呑んでるさかい後で」言うた途端大久保がキレたんをトリガに他の旗本も暴れ始めた。




 「こら、この酒醤油ドープしとんちゃうのんけ」「こない水っぽい酒呑めるかィアホンダラアホ」ちゅうて、三枝土佐守が障子襖をぶった斬り、内藤安芸守が火鉢ひっくり返して畳丸焦げにし、小笠原播磨守が芸者の顔面をパーでしばき、酒井紀伊守が皿や鉢を叩き割りと、やりたい放題の狼藉を働いた。こんだけえげつないことされても水上は「除封切腹よりかはマシや」と必死に堪えとった。




 大久保大和守に至っては飯碗にクソするは、それ見て小堀河内守は鉢に小便垂れるは(「徳川実紀」によると、小便垂れたんは三枝らしいが)、大久保の垂れたババを三枝が箸でつまんで座敷に撒き散らすは、能勢筑前守は水上を吉原に連れ出そうとするは、狂気の沙汰とはこのことを言うのやろう。「日本の美しい侍」とちごて、「日本のババくさい侍」に改題することを希望する。




 こんだけやらかしたら、世が世であれば全員改易切腹やったろうが、小堀と大久保は御役御免と差し控え、水上を含めた他の者も差し控えだけでしまいやった。田沼時代の綱紀の緩みもこの事件の呼び水になったやろうことは否定でけん。




 この醜聞は江戸市中の町人にも知られることになり、




 座敷には無用の札も間にあはず小堀小堀と鉢に小便(小堀河内守)


 水上に垂れ散らしたる永田ばば浮名流れて尻が来るとは(大久保大和守)




ちゅうような落首が詠まれたそうな。つくづくブサイクな話やのう。




 こないな乱脈が起こったんは、武士の長子に生まれたらアホでも無条件に親の禄を襲うことがでけたシステムが原因なんは疑いない。わしやったらこれをそのまんま教科書に載して、世襲は弊夥多にして効鮮少なることの好例として示すねんけどのう。(つづく)