E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

「新しい日本の歴史」はやっぱしあかんかった(17)

 わしゃいつもアホなことばっか考えてアホなブログ書いとるぐらいやさかい、何時もほぼ例外なしにエタノールミドルドープ状態で書いとんねん。でも、マジなブログ書いとるときにこれでは、教科書の間違いを正すべきが、こっちが間違い書いてまう危険がある。調べれば簡単に分かることが、酔っ払ってまうと、調べることが面倒なってまうんやな。これは気をつけんとあかん。




 でもこれぐらいで怯んではおれん。続きを書くことにする。




 政権がある程度長期に及ぶと、名君よりも暗君の方がどないしたかて多なるが、徳川幕府も無論その例外やない。家光などは多くの事績を挙げてることになっとるが、これは父の秀忠が愚息に箔をつける目的で、自身の功績を譲ったてことは有名で、家光は暗君やった。




 犬公方綱吉も一応の事績はあるが、生類憐れみの令でそれら全て帳消しどころかマイナスの評価しかつけられんのではないか。神社・仏閣の修復・造営かて、見方を変えたら単なる国帑の濫費でしかないやろう。時の為政者を持ち上げ過ぎの嫌いがあるな。教科書もマスコミ同様、政権から距離を置くぐらいが丁度エエのではなかろうか。もっとも、幕府の濫費のおかげで元禄文化が開花した訳やから、不景気な時には国は大盤振舞いすべきことがよう分かる例やな。ほんでもって白石の政治は、過熱した景気の引き締めに相当する。




 水戸光圀の始めた「大日本史」編纂事業やけど、その完成が何時なんかも書いたるんが親切なんではなかろうか。中高生対象の教科書には、別に調べんとあかんことが多い悪弊がある。生徒の自主的な学習を期待してのこっちゃろうが、大半の生徒はそんなことはせえへんちゅう現実を直視せえ。




 江戸が当時世界一の人口を擁したことは確かに特筆に価するが、それについての解説があらへんようでは、弾込めを忘れた鉄砲やろう。折角、玉川上水について触れてんのに、それと絡めて話を進めんとは如何にももったいない。




 何でわしが江戸の人口について強調しとるかちゅうと、都市に人口の集積があったからこそ、維新後の産業の発展が可能やったからやがな。それを可能にしたんは、清浄な水の大量確保やな。この水によって江戸の街と市民の清潔さが保たれたからこそ、大都市であるにも関わらず、ペストとかの蔓延を防ぐことがでけてんな。




 それに、きれいな真水がなかったら、鉄も半導体も作れん。その水資源は、農業用水を確保するための治山・治水によって齎されたモンやちゅうことも説明する必要があるやろう。せやさかい、農業国を経ずに工業国にはなれんのや。




 歴史の勉強は、単に過去の出来事を学ぶためにあるんと違うことを、教科書の執筆者にはもっと理解する必要がある。(つづく)