E-BOMBERのアホアホブログ

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「新しい日本の歴史」はやっぱしあかんかった(14)

 この教科書の決定的にあかんとこの一つは、歴史を好きにさそうとする工夫が足らんことである。織田信長の略伝を3・4ページ費やしてでも書くぐらい思い切った構成がなかったら、教科書しか読まん生徒に何も伝わらんど。誰もが日本史の副読本に目ェ通す訳やあらへんことを、この教科書の執筆・監修者は理解でけてへんの。教科書の理想とは、そないな別教材なしに完結でけることやんけ。




 秀吉が織田右府の最期を知ったんは、備中高松城を水攻めにしてる時やさかい、何でそない書かんねん。それに、秀吉が光秀と激突したんは京都とちごて山崎(京都府乙訓郡大山崎町)やろが。確かに、光秀が最期を迎えたんは伏見なんやが、当時の伏見は京都市中とは違うかったし(京都府伏見市;戦中まで、伏見師団司令部所在地やったことからも分かる)、光秀が竹槍で突かれた場所の方が山崎よりも重要とは到底思えん。こういうとこが雑やちゅうねんがな。




 ほいでから、秀吉が柴田勝家を賤ヶ岳に破ったことで天下をほぼ手中にしたことぐらい書けんか?歴史用語として伊勢新九郎長氏(北条早雲)の末裔の北条氏のことを、鎌倉の「前北条氏」と区別するために「後北条氏」とも言うて注釈もつけれや。この二つに血縁関係あるて誤解する中学生出て来ても不思議やないど。




 太閤検地に関連して言うとくべきことは、日本は三百諸侯・旗本八万騎の勢力を石高で表すようなったちゅう、世界にも類例を見出せん特徴があることやんけ。これについての解説がいっこもあらへん日本史の教科書は出来損ないである。




 バテレン追放令が徹底せんかったんは、要するに秀吉が南蛮貿易によって得られる利益を捨てられんかったからてもっとはっきし書かんかいよ。清盛の日宋貿易も、義満の日明貿易も、どんだけ時の政権に利益を齎したんかを無視しては歴史とは言えんわい。




 読み物コラム「茶の湯と生け花」の冒頭で、抹茶が宋から栄西によって伝えられたて書いたあるん見て思い出したが、なして護良親王の読みを「もりよししんのう・もりながしんのう」と二通り表しとんのに、栄西の読みも「えいさい」の他に「ようさい」があるて書かんのか理解でけん。この教科書で禅僧は皇族よりも低く見られとるみたいやな。ついでに言うと、「茶道」は「ちゃどう」とも読むねんな。(つづく)