E-BOMBERのアホアホブログ

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「新しい日本の歴史」はやっぱしあかんかった(5)

 歴史のシロートであるわしなんぞにこんだけツッコまれるお粗末な教科書に平気で賛辞を重ねる連中が多いことには呆れる。この連載は暫く終われそうにあらへん。




 読み物コラムの「日本人の宗教観」で、年末年始にクリスマス・寺院の除夜の鐘・神社への初詣やけど、大阪と西宮には「十日戎」もあるど、と思わずツッコミたなるが、まあそないな瑣末なことはエエやろ。




 隋の煬帝(世祖明帝広)や遣隋使の答礼使である裴世清の名が現れんのは如何なる訳か?当時の北東アジアにおける隋の影響力や、当時隋が高句麗と敵対してた事情を考えたら、軽々に扱うべきことやないと思われるが。




 それに、「摂政」の記述かて軽すぎるやろう。これは事実上天皇を複数置くことによって、豪族(特に蘇我氏)の勢力を削ぐためであることを明言せんことには、この制度を理解でけん中学生かて出てくるやろうが。後で、この制度の焼き直しとして平安後期の院政が出て来ることを併記する必要を感じるんやがのう。歴史はさも繰り返すかのように見えんのによ。




 せやけど、朝廷にとって貴重やった天皇・大兄の二頭政治は、壬申の乱で終焉を迎える。要するに朝廷内部の対立が原因やが、後の院政も保元・平治の乱で綻びて、承久の乱で止めを刺されるんも構造的には一緒やな。歴史は繰り返さんようで繰り返すて教えんと教える意味あらへんど。




 隋が農民反乱によって唐に滅ぼされたちゅう記述もあかん。「農民反乱」ちゅう「けざわひがし」いや毛沢東の作文を何の疑いもなしにつことる日本の歴史学者の愚劣さ加減には閉口する。土地とそこからの収穫があって安定した生活送っとる農民が何でわざわざ反乱に荷担しやんとあかんねんアホ。中国の易姓革命の主役は農民とちごて、食い詰めた無頼漢の集団に決まったあるやろがアホめ。フン族の西遷かて要するに食い詰めたからやねんやし、なしてこない殊更に人間の行動を分かりにくく説明したがるんかわしにはとんと理解でけん。歴史学者にもええかっこしいが多いんけ?




 日本史はその用語を覚えるんが大変やのう。「租税」ちゅう語の元である「租」は兎も角、「庸」に「調」の意味まで覚えやんとエエ点取られへんねんからのう。聞くとこによると、東京多摩地区の「調布」と、大田区の「田園調布」は、「調」として布を納めた地域やそうやがな。どっちゃも多摩川沿岸で布晒しの環境が整っとったさかいのう。ちょっとした工夫がなかったら、中学生はなかなか歴史用語覚えてくれへんちゅうことを、教科書の編纂者には考えてもらいたい。(つづく)