E-BOMBERのアホアホブログ

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(東日本大震災1年)わしらは「南海大震災」への備えが要るのう

 去年の今日(11日)、大阪近辺の某市で最初に感じた揺れは、地震の最初の揺れ(P波)にありがちなガタガタした揺れとはちごて、S波のゆらりゆらりとした揺れやったから、これを地震て認識するまで時間がかかった。P波は縦波やから減衰しやすいらしくて、震央から離れた大阪では感じにくかってんやろうの。


 それから後、テレビ見てて思たんは、大津波警報が発表されてるにも関わらずに家にそのまま留まっとって津波に飲まれた人の多いことよ。ケータイとか持っとったら津波が来てあむないことぐらい分かりそうなモンやねんけど、そこまで気ィ回らんかってんな。「地震と来れば即津波」ちゅうことは、わしら大阪人でも秋田県地震奥尻島の惨状見て身にしみてるこっちゃねんけど、激甚災害の記憶がどんだけ風化しやすいかっちゅうこっちゃなこれは。防潮堤を過信して逃げへんかった人も多いらしいしの。


 ほんでから、去年の震災ちゅうのんは平安朝時代の震災の再来やそうやから、歴史地理学を軽視したらあかんちゅうことが分かった。吉田東伍は「大日本地名辞書」にこの貞観東日本大震災のこと載せよう思ててんけど、どういう訳かそれがでけんかったらしい。もしか、それがちゃんと記載されとって、その知見が歴史地理学者を通じて原発の設計に反映されとったら、福島第一原発の事故かて防げとったかもしれんて考えたら無念としか言いようがあらへん。もちろん、イソコン(isolated condenser)をいごかし続けとったら燃料棒が水面から露出せんでメルトダウンせえへんかったん違うかちゅうことも悔恨の対象になるがの。


 んでも、起こってしもたことはもう取り返しがつかん。あとはこれを教訓に次の大地震に備えることしかあらへん。わしらが備えやんとあかんのは、戦後すぐに起こった「南海大震災」の再来や。東日本大震災のM9.0程ではあらへんが、おんなしプレート型の巨大地震ちゅうことには変わりはない。これが揺ってみィよ、大阪市内かて津波被るかもしれんねんど。せやから、「んめだ」で大きい地震揺って、大阪湾岸に大津波警報発表されたら、大阪城公園とかの高台に避難するんがエエのんと違うかな。1時間半もあれば十分行けるやろう。難波で揺ったら上六に逃げれ。