E-BOMBERのアホアホブログ

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真の少子化対策とは子供の命の値段をタダにすること(2)

 少子化を深刻にした過去の判例はこれやないやろうか。


最高裁判所第二小法廷判例(昭和39年6月24日民集18.5.874)「事故により死亡した幼児の得べかりし利益を算定するに際しては(中略)一概に算定不可能として得べかりし利益の喪失による損害賠償請求を否定することは許されない」


 わしに言わせれば、人間性を否定される裁判官に「社会の何たるかをわかっとらん」やなんて言うのんは筋違いかもわからんが、こないに社会に害毒を与えた判例はあらへんのやないかと思うねんやんけ。


 まずの、ナンボ我が子やから言うたかて、その子の死によって親が損害賠償金を手にすること自体がおかしいんやないかちゅうねん。親を事故で亡くした子供が請求するんやったらわかるけどの。こんなん言うたら誰ぞ怒ってくるやろうが、我が子を亡くしたかて親は金銭的に損することはいっこものうて、むしろ逆に、養育費の負担がのうなって得すんねんがな。子供の死ィによる賠償には合理性が根本的に欠如しとるし、子供の死ィの悲嘆は、金銭によって癒されるモンと違うやろう。


 第一の、「子供の逸失利益」て何やねん?子供の収入を当てにする親なんかロクな奴やないど。親が子を育てるのんに金をかけ、年長者が年少者のために奢ってやるんが健全な社会の姿やないかえ?イチローと一緒に食事したある先輩選手が「イチロー金出しよらん」てボヤいとったが、みっともないことこの上なし。


 それにの、社会経験がゼロの子供の逸失利益は、なまじ未就労状態にあるがために、大人よりも高額に算定される可能性がある。これを見た子供が「俺たちは大人よりも高いから大人よりも大事な存在だ」て錯覚したかておかしないやろう。無規範な子供が増えてるんは、現在の子持ちの家庭の多くが子供中心に動いてて、大人は子供をエエ大学に行かすための道具としてしか見られてないからやっちゅう指摘があるが、それは多分間違いあらへんやろう。こんなんでは子供は親を尊敬せんようなるんは当然で、親の言うこと聞かん子供は当然荒む。荒んだ子供が多い中で、子供を作る意欲が萎えるんは自然なことと違うか?


 子供の死ィと少子化にまつわる問題はまだある。それを次回に書くことにする。(つづく)