E-BOMBERのアホアホブログ

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真の少子化対策とは子供の命の値段をタダにすること(3)

 子供の命の値段は判例が積み重なるに連れて相当に値上がりしたみたいや。柵を乗り越えて工場に入り込んだ子供が用水に落ちて死んだ事故でさえ、裁判官は「無過失責任」ちゅう聞き慣れん条項を持ち出して、工場に賠償を命じる判決を下すんやからかなん。


 無過失責任ちゅうのんは、文明の発達によって齎された公害病なんかの問題を裁くときに有効なんやけど、上の事故なんかに適用するんはどう見てもおかしいやろう。本来やったら子供の両親が工場に詫び入れるんが筋やろうに、とんでもない判例を残してくれたモンやのう。


 近所の子供を預かったらその子が近所の池に落って死んで、子供の両親に訴えられるなんてこともあった。これは被告人側も原告側を逆告訴するなど訴訟合戦なってんけど、双方に嫌がらせの電話がジャンジャンかかって来て、結局双方とも訴訟を取り下げた。こんときのマスコミの論調は、裁判を受ける権利を妨害された原告に肩を持ちたいものの、裁判そのものに対する疑問もあったんで、あまり盛り上がらんかったそうや。


 せやけど、こここそがマスコミの本来の見せ場やろう。裁判そのものに対する疑問を真正面から採り上げるべきやった。こんなんが罷り通ったら、善意で子供を預かる行為だけやなしに、小中学校かて修学旅行すらでけんようなるやろう、とな。んでもって、修学旅行客を受け入れる観光地にしても、子供の事故を恐れて柵を廻らし、景観がわやくちゃになってまうかもしれんやろう、とな。


 それにやな、これがいっちゃん言わなあかんことやけど、自分の子供と一緒に遊んどった子供が死にでもしてみィよ、自分が子供に代わってその損害賠償請求されるねんど。そんなんやったら子供なんか持たんに限るてなってまうに決まったあるやないか。せやから戦後の司法が少子化を招いた原因やちゅうんやないか。


 多くの欧米諸国では、原則として事故死者には賠償金を払わず、逸失利益が認められる場合に限って支払われる。日本のような制度はグローバルスタンダードから大きく外れとることも指摘しとく必要があるやろう。


 最後に言うとくが、子供に限らず、人の命に値段をつけることはでけん。仮に値段がついたとしても、それは根本的に間違うとる。こんなえげつないことする司法のある国に生まれたことをわしゃ残念に思う。(しまい)