E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

広島・長崎原爆67回忌は福島原発事故1年目なり

 今日も大阪は暑かった。わしゃ真夏にまでイオンの恵方巻喰うことなるとは夢にも思てなかったが、明日は立秋やさかい今日は一応節分で、恵方は南南東やそうや。イオンも商魂たくましい。


 「や○きのそこまで言って委員会」は毎年この時期になると原爆・東京裁判憲法をやることが多いが、今年も例年通りやった。


 いかに言辞を弄しようが、民間人を標的にした爆撃は、核であろうがなかろうが犯罪行為に決まっとる。その意味では、重慶・東京・大阪・広島・長崎に大きな違いはナイ。また、米軍が沖縄上陸を果たした後の日本に戦闘継続能力があらへんかったことを米軍側がわからんかったとは思えんねんな。連合国は7月終わり頃にポツダム宣言しとるが、それを元に日本に外交的圧力を加え、「其の共同声明を受諾する旨通告せしめ」ることが不可能であったと何で言えんねん。穿った見方やが、あのタイミングでのポツダム宣言は、「原爆投下実験」を正当化するためのセレモニーの可能性かてありはせんか?実戦でつこてこそ、実験の意味は大きなるし、戦後対立するであろうソ連邦に対してのデモンストレーション効果かて増倍するちゅうモンやんけ。


 ただ、核兵器が残虐な兵器やちゅうことは間違いないが、核を廃絶するんは不可能に近いやろう。核軍縮して軍事バランス崩して戦争の危険増やすやなんて本末転倒やで。原子核原子力)工学は学問として既に一般に考究されとるし、それによってアルカイダみたいなとこで核開発技術が確立されてまうことかて止めようあらへんわな。結局、核を廃絶するには、核よりも安価で扱いやすく、かつ核よりもパンチ力があって、できれば核よりクリーンな兵器を開発するよりあらへんやろう。一度始まったイタチゴッコはなかなか終わらん。ましてや、何のためらいもなしに劣化ウラン弾イラクアフガニスタン汚しまくっとる野蛮国アメリカが、核を手放すとは到底思えんのんじゃい。


 これまでの日本は、資源小国であるにも関わらず、身の丈を越えた電力供給をやって来た。これまではたまたま地震津波が来ェへんかったから明るみに出んかっただけで、実際はムリにムリを重ねた結果の原発事故招来やったと認めんとあかん。当面は嫌でも節電したりさらなる省エネ技術の開発でしのぐしかあらへんやろう。太陽光発電は安全やろうが発電コストが高すぎて新エネ技術の本命なるとは思えん。この際、勝谷の好きなオーランチキチキでも、おいもさんでもエエ。溶融トリウム原発は原理的にはメルトダウン事故はあらへんものの、高レベル放射性廃棄物出すとこは今の軽水炉と変わらんので、せいぜい、現行原発と次の本命との間のつなぎのエネルギーちゅう位置づけでの開発予算付けが適当やろう。勝谷の考える新エネの本命が「チキチキ」やったらわしは「ナノアンテナ」なんやけど、テラヘルツからサブペタヘルツ帯こなせる整流器かそれに代わる技術が要んねんから、まだまだ実用化には程遠い。でも、核に替る新エネルギーを開発することは、「20世紀の清算」のために必要なこっちゃとわしゃ思う。児島襄は「誤算の論理」の中で、第2次大戦は、20世紀中葉まで残った「19世紀的秩序の清算」であったとしている。せやけど、その「実業家の宮廷序列が少尉よりも低い」とかの下らん19世紀的秩序を清算する過程で、人類は核兵器ちゅう厄介な必殺技を産み出してしもた。せやさかい、軍事分野はともかく、新エネルギー分野だけでも「20世紀の清算」を早々に行いたい思うねんやんけ。日本にはそれをやり遂げる力はあるやろし、福島で事故を起こした日本には、それを遂行する義務もあるやろしのう。