E-BOMBERのアホアホブログ

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政治家と有権者はパラレルなのか?

 小室直樹は「国家の意思と国民の意思のパラレリズム(平行主義)」は成立しないと、社会学などの成果をもとに説いていたが、今回の「や○きの委員会」で三宅のジジイは、「国民の政治意識が低調だから政治家もダメなんだ。政治家と国民とは常にパラレルな関係にある」と主張していた。これには一定以上の説得力があったことは認めやんとあかんな。軍事や外交はパラレリズムと乖離する傾向は強いけど、内政についてはパラレルの度合いは強なることは指摘されやんとあかんわな。


 日本が奇跡的とも言うべき戦後復興を為し得た要因はようさんある。思いつくままに列挙してみても、


・米国の庇護により、軍事費負担が軽減でけて、その分を高速道路や新幹線などの社会インフラ整備に回せた

・日本全体が焦土と化し、嫌でも最新の設備投資しやんとあかんような環境にあった

・江戸時代から初等教育が普及してた実績があり、大勢の産業労働者が確保でける環境が整備されとった

・日本は稲作が発達しとったんで、きれいな水が大量に確保でけて、鉄や半導体作るんに適しとった


ちゅうた具合に、別に明治以降の政治家が汗水垂らしやんでも、経済的に発展する素地は江戸期に既に整備されとったちゅうこっちゃな。「政治三流」でも、「産業一流」やったんで、どないかこないかやって来れたちゅうんが実情やないか。


 せやけど、こんだけ優秀なはずの日本人やのに、その代表の筈の政治家が何であかんのかちゅう疑問が起こるんは当然やろう。でもよう考えて見いよ。つい百年ちょい前まで、時代劇の見過ぎかしらんが「お代官様、おねげえでございますだ」「お上には逆らえん」ちゅうとった衆が大半の国民やぞ。こんなんでは自分らの代わりに仕事してくれる代議員をちゃんと選べるとはとても思えんわな。何せ、国民の大半は、「政治」と「政策」と「政局」と「政変」の意味が区別でけてへんとしか思えんねんからな。そうでなかったら、マスコミの論調かて政策寄りになって、今みたいに政局寄りになるわけあらへんからのう。


 もしか、議員バッジつけとる連中と国民の関係がパラレルやちゅうんやったら、マジでその現状打破しやんとあかんねんけど、それは、現在の民主主義で当たり前のことである「大学教授の一票とヒモの一票が同じ重み」であることの否定でなかったあかんて思うねんけど、これてどないや?ヒトラーかて似たようなこと言うとったけど、もちろん「全体主義」も「国家社会主義」もあかんちゅうて、国家の管理や強制を民主主義に持ち込むことを否定しとったかて、現在の衆愚政治を改革なんかでけへんで。過去に日教組あたりが言うとった「個々人の持つ能力は平等である」ちゅうんがウソやちゅうことは、公立の小中学校のクラスメイトがどうやったかちゅうことを思い出してもらえれば、即座に否定でけることは論を俟たんこっちゃろが。


 国民の「政治的習熟度」による「一票の重みの区別」を敢えて考えてみるとしようやないか。つまり、ある種の試験の出来不出来によって、「お前は一票、お前は二票」ちゅうた具合に、一票の重みに差をつける策やな。こんなん「時の政府の意思如何によって、その評価方法が恣意的に歪められる」危険があることは前もって注意しとかんとあかんやろう。せやけど、例えばの、参政権があるにもかかわらず投票所に来ェへん連中に政治を批判する資格があらへんことは、まず衆目の一致するとこやろう。選挙に参加する意志が強いんやったら、自分の票が重たなる試験受験しようてなるやろう。試験問題を公表して、国民全体の批判にさらすことは必須にするんは当然として、どないして健全な資格試験として運用するんかにはまだまだ知恵が要って、現在のわしの力の及ぶとこではない。


 やけどの、有権者があかんから政党も大した事あらへん候補者を平気で立てれるんであって、せやなかったら、プロゴルファーの親父やの、オリンピックの金メダリストの柔道家やの、有権者をナメとるとしか思えん候補者端から立てたりせえへんのだ。


 わしは、機会は均等でなかったらあかんて思うけど、全ての人間は無条件に平等であるんはおかしいて思うんで、敢えて現在の民主主義の根幹に関わる問題をここに書き出したんやんけ。「生まれながらにある民主主義」も当然尊いものではあるが、生まれてから後に「勝ち取る民主主義」もそれに並立してエエのではないかとも思う。現状では、衆愚から脱却するにはこれしか思いつかなんだちゅうのがある。でも、これなんか、現行の民主主義の手続きを経る過程で葬り去られるような策でしかないんで、もっと現実的な案を出す必要がある。でなければ民主主義の否定ちゅう自家撞着に陥ることになってまう。もっとも、民主主義自体が限界のあるイデオロギーやねんけど、その限界をより高いとこまで引き上げる努力をするんが、民主主義以外のより優れたイデオロギーをしらんわしらみたいな連中のするこっちゃろう。