E-BOMBERのアホアホブログ

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保守主義にあるべき姿があるか?

 今日(8日)の「や〇きのそこまで言って委員会」はブログネタ満載である。いわゆる「つくる会」発起人の西尾幹二電通大名誉教授はウヨクの論客としてはお粗末な存在であり、保守について論じるには荷が勝ちすぎとる印象があるが、「日本がもっと保守主義について論議を深めるべきである」と勝谷誠彦宮崎哲弥に言わしめたことだけは、まあ、ケガの功名と言うべきやろう。


 タイトルだけを見たら、わしが保守主義に対して否定的な見解を持っとるように見られるかわからんが、わしは「革新」はともかく「革命」については懐疑的である。まず、社会主義共産主義は、どちらも人間の本性に悖る考え方であり、生産手段を合目的的に使う計画経済政策では、自由競争下に見られる電化製品等の進歩や最適化が見られんようになってまうからや。人類の祖先であるエテコには、獲物を群れに分配する本能は持ち合わせがないそうやし、一見ムダな複数の会社による多品種少量生産・消費かて、より優れた消費財を産み出す原動力になっとることは衆目の一致するとこやろう。「ガラパゴス化」が起こったんは、要するに対外のマーケティングがおざなりであった結果、おもっくそ的外したてこっちゃろう。


 ところが、どうもわが国では、「60年安保」やらの影響で、「左翼はインテリ」て刷り込まれたように見受けられる。ソ連邦プロパガンダに乗せられた「役に立つ白痴」が大量生産されたんも、これが大きな理由として考えられる。


 保守主義が誤解されるもう一つの理由として、既得権益を死守するちゅうイメージを国民に持たしてしもたことがあるんちゃうか?国会議員の世襲が行われると、その地盤が相続されると同時に、利権も相続されるちゅうあれよ。「子が親の地盤を受け継いで何が悪い」やの「大正から守って来た議席世襲制限で失いたくない」やのと、民主主義の根幹を否定するようなことを平気で吐かす政治屋を支持してきた連中も同罪である。保守主義ちゅうのんは、こんな安もんけの考え方とちごて、国土や国民の安全や国家の健全な発展のために、守るべきものは守るちゅう考え方と違うんか?


 それはもちろん、西尾みたいに、日本の国益を守るためやったら、過去を糊塗してもかめへんちゅう考え方とはまるで違う。そんなん安藤和津の亜流の、危険極まりない思想やないか。ここでは「むしろ正しい歴史認識を以て海外と対峙する方が国益に適う」(筆坂秀世・元共産党書記局長代行)ちゅう発言の方がより穏当やろう。日本を美化するためやったら史実を平気で歪曲でける西尾のごとき者が発する言説に、具眼の士が乗せられるはずはあらへんと信じる。70年代初期によう読まれとった公害モノの書物が70年代末にさっぱり読まれんようになったんは、「公害は絶対悪やから、これは撲滅しやんとあかん。その大義のためやったらデータの改竄ぐらいどうってことあらへん」ちゅう、歪んだ考えがあったからやろう。


 日本は不幸にも先次大戦の敗戦国になり、連合軍占領下に過去の日本を全否定されてしもた。歴史の書き手は戦勝国やから、敗戦国に都合の悪い部分が誇張されることになる。家永の「欠陥教科書」もこないした環境下で執筆されたんやろう。しかも「日本は戦争を起こした」「日本は戦争に負けた」「故に、戦争は絶対悪である」ちゅう、飛躍した三段論法が罷り通ってしもて、さらには、戦争について議論することさえタブーになってしもた。戦中・戦後の歴史を検証するんに、先次大戦についての議論は避けて通れんのやが、かくの如く判断停止してしもたノーミソ駆使したかて、戦争どころか55年体制下の政治の総括なんかでけるワケあらへんわな。


 せやから、戦争について議論することのタブーが消えた今こそ、保守の論客の出番なんや。太平洋戦争と55年体制の「清算」を果たしてこそ、将来の日本のビジョンが見えて来ることにまず間違いあらへん。それをして来ェへんかったから、自民は下野してしもてんやんけ。わしは、今の民主政権下で日本が戦争に巻き込まれでもしたら、日本が再度戦火に塗れる可能性が高いと見る。攻め来る者はこれを撃退する、そんな当たり前のことすら自主的にでけん国はまともな国とは違う。