E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

尼崎事故後、鉄道の安全はいかに守られるべきか?

 JR宝塚線塚口・尼崎間脱線事故に関して、航空・鉄道事故調査委員会(現・運輸安全委員会)鉄道部会委員がJR西に調査情報を漏洩しとったわけやが、このことが、今後、この百人を超える死者を出した事故が、鉄道のより高度な安全性に寄与する可能性を幾分か減殺されとる疑いがあり、しかも、負傷者や犠牲者の遺族の感情をおもっくそ損ねとる。んで、シロウト鉄道基地外のわしとしても、鉄道の安全を高める術を考えやんとあかんかなと思うようなった。


 まずな、こんなんわしらシロウトさんでもわかるこっちゃろけどな、曲率半径(R)の小さい曲線区間に高速度の鉄道車両が突っ込んだら、脱線するに決まったあるやないか。カント●上(●はてへん+工で、カントとは、曲線区間における軌条の外側を数ミリから数十ミリ内側より高くすること)しとったかて脱線するもんは脱線すんねんやんけ。せやさかい、このテの事故を防ごう思たら、こないな速度制限区間の手前で強制的に速度を落とさす以外にあらへんのやないか。確かに、この区間ATS-P(速度照査付自動列車停止装置)を導入しとれば防げた事故ではあろうがの。理想を言うなら、仙台地下鉄やらつくばエクスプレスみたいに全区間ATO(自動列車運転装置)導入やろが、そんなん高いさかいムリや。要するに、事故の物理的原因もその対策もハナから明らかなわけで、わかりにくいのんは、あの曲線で何キロ以上で脱線するかちゅうことくらいやな。


 何が言いたいいうたら、この事故は、現象論的には、単なる速度超過が原因なんやけど、過去の著名な鉄道事故以上に、当初から人的要因がクローズアップされとったこっちゃないけ(無論、過去の鉄道事故に人的要素が皆無やった訳とは違うが)。せやさかい、事故調としても、その人的要因を探りたなるんは理の当然のように思える。せやけどや、事故調委員は問題の「日勤教育」を口実に人脈もあってJR西に接近して事情を探ろうとしたと釈明しとるが、それが、後輩かわいさの行動と勘ぐられてもしゃあないやろう。それにや、かかる人的要因を探索するんは事故調の領分とちごて、心理学者とか脳科学者の出番やろう。現行の運輸安全委鉄道部会のメンバーは鉄道技術屋だけやねんさかい、運転士の心理状態を分析するの任はあらへん。事故の人的要因を調べ上げるんやったら、精神分析医とか、労務管理スペシャリストとかを加えやんとあかんやろう。「日勤教育」の是か非かは、こういった方面からの意見によって決めるべきこっちゃないやろか。


 運輸安全委員会のメンバーの人選が旧国鉄・JRのOBに偏っとるのも気になるとこやのう。新幹線やJR総研を保有し、他の鉄道会社にあらへん技術やマンパワー保有するJRを除外した人選は困難なこっちゃろうとは思うが、JR以外の鉄道会社OBやらアカデミズムの世界からでも適材を探すことは不可能ではないとわしは思うがどないじゃ?


 事故調や運輸安全委は事故の責任を糾弾するための機関とちごて、究明された事故原因を現場にフィードバックして、事故再発を防止するための組織やちゅうのはわかる。せやからいうて、現場の性善説に訴えるんには限界があることは、例の姉歯耐震強度偽装問題が示しておる。「鉄道事業運営現場の職業倫理向上」やなんて悠長に過ぎる。事故の現象論的原因がわかったあるからには、極端な話、これ以上の工学的な調査の必要はあらへん。こっから先は、鉄道工学の専門家の出番とちごて、心理学や品質管理のプロとかの出番や。もしか、行過ぎた精神論で負けた先の大戦の反省がちゃんとでけてへんさかい、今回の事故の人的要因すらちゃんと分析でけんのんけ?やとしたら、これは日本民族骨がらみの問題であって、事はより深刻やな。