E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

カシコて何や?(2)

 およそアホ・カシコを論ずるに値せえへんアホがそれを論じる程不愉快なことはあらへんのやろうが、ハイヒールモモコかて菅をつかまえて「(ロザンの)アホの方」言うてるそうやさかいエエやないか。


 まず、カシコの定義の考え方を論じる必要があろう。カシコいうと、ことばのニュアンスとして、単に「ドタマがエエ」とか「教養がある」ちゅうのんとは違う印象がある。「バカと紙一重の差ァ」と言われるんが「利口」やから、東京方面でいわゆるお利口さんのことと思て大きな間違いとは言えんやろう。ただ、わしが思うに、バカは絶対値もしくはスカラ量で、アホはベクトル量ないしは位相量なんで、少なくとも常時カシコ=利口ではない。「あいつアホやで」ちゅうのんは、「あんな(賢い・利口な)ヤツでも時にはバカみたいなことをする」ことをあらわすときにも使われると思われるからである。ヒトの頭脳程度を関数で表すと、アホはそれ単独で時間や場所を変数とする関数(以下「アホ関数」)で、バカはその定数項と言い換えてもよいのではなかろうか。ちゅうことは、アホの反対カシコも時間か空間、またはその両方を変数とする関数いうことになる。時と場所によるからには、「聡い」よりも、「目敏い」に近いイメージがある。「狡賢い」「悪賢い」なんて語もあるぐらいやから、カシコには反社会的な向きのベクトルがあるんがオモロイがな。アホにも人畜無害なんから有害無益なんまでありそうやが、「新喜劇」のアホは無害で、それ以外のテレビ番組のアホは有害てとこか?


 カシコに時空間依存性があるとするならば、知識はその依存性に乏しいと思われるから、カシコかアホかには直接関係がなさそうに思われるが、知識の種類や量もこのアホ関数の変数である可能性がある。ただ、知識があっても随時それを抽斗から抽出でけなんだらアホと一緒なんで、わしが最初に否定したはずの「回転の早さ」が出て来そうではある。ただ、闇雲にタンスの中身をそこらにぶちまけるだけではこれまたアホやし、早速出てきた内容が空疎で薄っぺらでは、「小賢しい」の謗りを免れまい。すぐに答えが出そうにない難解な問題を解決するには、長期に亘って熟考でける根気や忍耐力が必要で、飽きっぽい性格ではそれはムリなんと違うやろか?カシコには、ムダな努力を嫌うというか、努力がムダに終わりそうなことからはちゃっちゃと撤退して、即座に成果が出る道を選ぶ印象がある。換言すれば、積分的な才能より、微分的な才能を発揮するというか、直感的に結論を導く作業に長けておるっちゅう感じやな。逆に、沈思黙考するのはニガテそうであるし、「小さくまとまる」いうか「小才に長けている」いうのんが浮かんでくるわい。


 ことばの定義を明らかにする過程を経て導き出した結論は、「カシコには、軽薄短小なイメージがあり、決して全面的にエエこととは違う」である。「おまえカシコいな」言われて素直に喜べんかもしれん。最低でも、頭の回転が早いことと同様、あんまし上等なことではなさそうである。それやったら、たとい愚直と誹られようが、時間をかけて結論を導き出す方がエエような気がするわ。結果としてネズミ一匹出て来えへんかってもエエねん。大きい仕事は失敗する確率も高いに決まったあるやないか。(しまい)