E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

中堅技術者て何や?(4)

 技術者であるからには、専門知識だけでは絶対あかん。基礎的な技術力である数学や理科のあかん技術者なんぞ、危なっかしゅうて使えんやろう。対数も逆関数も知らん、絶対温度理想気体も知らんエンジニアなど、即刻辞表を書かしたなるし、人事にも二言三言文句言わんと腹の虫が治まらんで。


 そこで、勢い数学や理科を重点的にやるべき、となる。代数幾何系は線形代数ブール代数、解析系はそれこそ「解析概論」(高木貞治)に書いたある分野は全般的にやって、あとはベクトル解析と複素関数論もな。化学系以外の学科やったら、物理学は力学を解析力学までやり、電気系では飛ばされがちな熱統計力学も漏らさずやり、波動論は電磁気学と同様に独立した科目として徹底的にやり、近代物理学と量子論を切れ目なくやる。フーリエ解析ラプラス解析など、電気系に特に必要とされる数学は専門基礎科目として、レポート提出なんぞでお茶を濁すことはせずにちゃんと試験をする。土木・建築系や機械系は製図の負担が大き過ぎる。パソコンもモニタもプロッタも安なって、CAD技術が普及してる現在にあって、2年も3年も鉛筆やロットリングで設計製図やらすなんぞ芸が無さ過ぎるで。

 研究室の充実のためにも、専門分野が様々の指導教官を揃え、多種多様な選択科目を提供して、時代の流れから取り残されないようにしたなる気持ちはわからんではない。せやけど、学界も産業界も、私立で中堅所以下の大学の研究室での研究活動なんぞに大して関心なんぞ寄せてはおらん。一体に、「卒論は参加賞、修論は努力賞」に過ぎない。電気・電子・応用物理系で、世間の耳目を引く研究をやるには、やっぱし相当のゼニが要るんが現実で、私立では早大・慶大でもそんなん限られた一部の研究室だけしかムリで、東大といえども全ての研究室を充実させるんは困難やと聞く。

 電子工学科を例に取ると、数学・理科以外では回路理論・電気数学・電子回路・電子計測・物性物理学・半導体工学・電子管工学・電子デバイス・デバイスプロセス・材料物性論・制御工学・光電子工学・電磁波動論・アンテナ工学・マイクロ波工学・電気音響工学・電算機科学・プログラミング言語・通信工学概論・電気工学概論・情報理論程度があれば、まあエエのではないのか。やたら選択科目を増やすと、所要教官数が増えてコストが嵩み、結局授業料値上げにつながってまう。「研究室が空洞化すると、研究成果が講義にフィードバックされんようなって、結局学部の質も下がるんと違うか」ちゅう反論が返って来るんは予想でけるが、今日日の科学技術が、卒論を書いたことある程度の人間に太刀打ちでけるモンではあらへんし、大体、大学程度の資本力で、大手企業の近代的な実験研究設備に対抗でける訳あらへんわな。結局のところ、フツーの大学は、カネがのうてもでける研究しかでけんし、重点大学の考えはやむを得んとこもあるやろう。そういうガッコは、「卒論はあくまで参加賞」と割り切って、そこそこの研究がでける有名国公立大の院に人材を送り出す「大学院受験予備校」に徹するんも一つの道ではないやろかと思う。大学の大衆化も進み過ぎるぐらい進んでしもたこっちゃし、学部中心の工科大学が「建学の理念」を振り翳せた時代は、とうの昔に過ぎ去ったと見る。


 本来、工科大学は、与えられた仕事を手際よくこなす技術屋を大量生産する場所とちごて、未知の科学・技術を開拓するエンジニアを養成する高等教育機関である。「漢検」うんぬんのとこでも書いたが、読解力のあらへん奴はどうせ大成せえへん。せやから、「国語(学)」を必修科目にして、日本語の文章の読解力を高める(というよりも、読解力のあらへんアホ学生を排除する)ことを目指す。日本語すらろくに読み書きでけん奴は大学行っても時間とカネのムダやさかい、チャッチャと退学さして、系列の専門学校んでも転校さした方がタメんなるんちゃうけ(再入学の道もつけたる必要はあろうが)。日本語が出来るだけでは教養人とは言えんのもまた事実ではあろうが、歳を重ねて教養人になることは期待できる。そういう奴らの集まりこそが、魅力ある工科大学の姿である。一般企業の社員が教養主義を説いては周囲から煙たがられようが、基礎研究に重点を置くべき大学やったら、なおさら教養主義を掲げやなあかんのだ。少なくとも「中堅技術者養成」なんちゅう、アホみたいな看板は即刻下ろすべきじゃ。(しまい)