E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道(182)

数少ない読者の皆さん、明けましておめでとうございます。

 

改まって何がめでたいかちゅうて、今年(2019年)いうたら、かの中華人民共和国建国70周年やんけ。「社会主義独裁国家亡国70年説」に従えば、今年が中共崩壊やがな。北○鮮は1948年建国やけども、あんな吹けば飛ぶよな小国、中共がコケたら自動的にコケるねんさかいはっきり言うてどーでもエエねや。

 

暫く書かん間に中国とそれを取り巻く状況が大きく変化したようにも思えるけども、中国の足腰が短期間に磐石になる訳あれへんねんさかい、実質的には何も変わったあらへん言うても間違いちゃうやろよ。ただまあ、トランプ氏がまあまあ腰を入れもって対中戦に取り組んでるようなんで、その腰の入れ具合によって中共破滅の日にちが早なったり遅なったりするぐらいのモンやろうかな。

 

「南支那の開発は、秦漢時代からその緒に就き、晋室の南渡によつて、急にその度を進め、唐宋元明と歩武を続けて、遂に南方は文化、戸口、物力等、すべての点に於て、北方を凌駕することになつた。清初の顧炎武の如きは、この南北の盛衰優劣地を代へた原因を、『天運循環、地脈移動。彼此乗除之理』と説明して居るが、勿論徹底せぬ。清末の劉光漢は、その原因を、五胡南北朝時代に於ける北●(けものへん+火)の侵入と、漢族の南下、及び南北に於ける水利の便否に帰するのは、やや肯綮に中つて居る。されど南方の水利が、その開発を助長するに与つて力あることを事実としても、そは副因にして主因でなく、助因にして正因でない。主要なる原因は、北●の侵入と、漢族の南下に帰せねばならぬ。(中略)北●の侵入、漢族の南下は、たとひその影響に大小の差ありとしても、亦五胡南北朝のそれと同様に、考慮に加へねばならぬ、要するに過去千六百年に亘つて、北支那に於ける野蛮なる夷●の侵入、南支那に於ける優秀なる漢族の移住、この二の事実が、南北盛衰の原因を解釈すべき、尤も重要なる鍵鑰(けんやく)と思ふ」

 

これまでこの連載に何度も書いたように、中国の歴代王朝は異民族とその侵入を殊の他警戒しかつ恐れ、これを積極的に討つよりもむしろ和蕃公主などの懐柔策に力点を置く政策を採って来たんやったな。せやさかいに五胡らの北侵を許してんけども、仮に中国の北半分を喪失することになったかて、まだ南半分の広大で肥沃で、しかも水利が北よりも容易な領地があるやないかちゅうことで、北部は蛮族のされるがままにしとったんやったな。せやけども、上がんな姿勢でおったら、農民はナンボ一所懸命に耕したかてどうせいつかは誰ぞに取られてまうんやて考えるやろから、その農地をより豊かにしようちゅう努力をせんようなるさかい、民がこぞって根無し草になってまうんは当然やな。

 

戦術的に言うならば、かような根無し草の集団ででけたある敵軍を懐柔ないしは無力化すんのはそない難しいこっちゃナイやろう。大阪の軍隊(第4師団・歩兵第8連隊)が弱かったんは、わしら大阪人が変に目端が利くんで、戦局が不利やったらそれを察知する能力がやたら高うて、「三十六計何とやら」てばかりに我先に逃げを打つからねんやんけ。ましてや彼ら中国人民は、表は共産党の指導の宜しきもあって「中華人民共和国万歳」「打倒小日本」を叫んどるけども、その実党の指導を鬱陶しく思うこと甚だ大で、愛国心など微塵もあれへん(そうでなかったら大陸脱出を究極目標とする「盲流」なんか沸き起こる訳あれへんし、「裸官」なんか出て来ェへんわい)。せやさかい、彼らほど宣伝戦に弱い衆はおらん。特に、ゼニとか損得勘定を説いたら弱いとこなんか大阪人とよう似たある。かような連中のこっちゃから、戦局甚だ不利と察知したからには集団脱走ぐらい平気でやりよるやろう。

 

中国の地理的な弱点を探す目的で読み出したこの論文やけどもその意図は叶わんかった。せやけども、図らずも中国人の民族的な弱点を焙り出す効果が出たみたいやな。(つづく)