E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道 (172)

これは少々古いレコチャの「抵制日貨(日本製ボイコット)」に関する記事やけど、写真見てわろたわ。

 

http://www.recordchina.co.jp/a100680.html

 

ボイコット対象として「豊田(トヨタ)」や「索尼(ソニー)」を挙げるんは分かるが、「康師伝」とは聞き慣れんさかい調べたら、これ台湾のメーカーやないか。個人持ちのプラカードやったらまあわしも何も言わんが、横断幕でこんなんでは、もって中国でこのテの運動やっとる連中のレベルの低さが窺えるちゅうモンやで。

 

そんでもまあこいつらは字ィ書けるだけ随分マシになった思う。民国時代は目ェに一丁字もあれへん衆ばっかやってんから、教育だけはその内容はともかく熱心にやる共産主義国家の効能がそれなりに現れたちゅうとこやろう。

 

せやけど、どういう訳かその長い歴史の割に、学習効果が感じられへんのが今の中国人や。

 

南宋以後に於ける、支那文運の大勢を達観すると、北支那の文運は、到底南支那のそれに比較し得ざること明白である。朱子を始め、宋の陸象山(江西人)とか、明の王陽明(浙江人)とか、一代を画する大思想家は、皆南支那から産出した。北支那には之に比肩し得る、一人の大思想家をも見出すことが容易でない。清一代の思想、学術に大影響を与へた顧炎武(江蘇人)、黄宗羲(浙江人)、王夫之(湖南人)等の先覚者も亦同様、すべて南支那の産である。清朝の学術を代表すべき考証学者を見渡しても、成程北支那からも閻若璩(山西人)、崔述(直隷人)、徐松(直隷人)等の大学者が輩出して居るけれども、到底南支那の多士済々たるに及ばぬ。経学者としての恵棟(江蘇人)、訓詁学者としての戴震(安徽省の南部の人)、王念孫(江蘇人)、設文学者としての段玉裁(江蘇人)、暦数学者としての梅文鼎(安徽省の南部の人)、思学舎としての銭大昕(江蘇人)、趙翼(江蘇人)、章学誠(浙江人)の如き、皆南支那人である。公羊学の流行は、支那近代学界の一特徴であるが、この公羊学の開拓に功労ある学者も亦、荘存与(江蘇人)、荘述祖(江蘇人)、●自珍(●=龍の下に共)(浙江人)、等、南支那人が多い。その他変法自強の提唱といひ、孔子教の排斥といひ、孔子教の拡張といひ、すべて此等の新機運は、南支那から勃興して来た」

 

朱子学陽明学は日本に上陸してからは日本人の素養を高めるんにまあそれなりに役立った思うけども、それが本家本元の中国では、黄文雄氏らが「儒禍」と称してその弊害を指摘すんねんな。彼ら中国人民にかかると、儒教はおのれに不都合な真実にフタする機能しか果たせてへんように見えてならんさかい、まあそない言われたかてしゃあないわな。朱熹と陸象山との論争、陸象山と王陽明との論争も、現代中国人が中世人にしか見えん惨状の前には空疎に感じられるわい。訓詁学かて重箱の隅をつんつんするようなモンにしか見えんし、公羊学なんざ子供だましで学問的な深みが微塵も感じられん。

 

中国人の新しいモノを発明する才能は、日本人など到底及びもつかん程の高いレベルにある思う。せやけども、何につけてもそれらを後世まで伝え、なおかつ磨きをかける才能は壊滅的にあかん。その原因は彼らになかなか「匠」の技が身につかんのと一緒で、長きに亘る易姓革命の歴史の弊害であるその刹那的な思考に基づく。せやさかい、この中国人の宿痾は北京原人からやり直さんと治らんと結論づけれる訳やな。(つづく)