E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

速報・中共崩壊への道 (168)

歴史が動くには必ず理由がある。例えば第一次産業革命では紡績・織布技術が驚異的なスピードで発展したけども、それは布の需要が供給量をかなり上回っとったことが発端やった。
 
そこにジョン・ケイが飛び杼(梭)を発明するや、織布の生産効率が劇的に向上し、その大量生産とコスト削減が可能なって、需要もさらに喚起されてんやんけ。ほしたら今度は紡糸の供給が間に合わんようなってたんで、ハーグリーブスやアークライトがそれぞれ新型の紡績機を発明して、紡糸の大量な需要に応えれるようなった。ところが今度は紡糸の供給過剰が問題なってしもて、それを歎いたカートライトが力織機を発明したんやったな。
 
現在の中国には歴史を動かす理由が政治・経済・軍事・環境その他各方面で満載状態にある。これまでは共産主義的支配によってそのダイナミズムをムリから抑制しとったけども、それも最早限界や。この国では毎日のように全国各地で暴動が発生しとるんだが、それを日本のメディアは伝えようとはせん。学生運動が盛んな時代に、ある新聞記者が「今日の交通事故」みたいに「今日の内ゲバ」でも載したらどうやと言うたそうやが、「今日の中国暴動」ちゅうのを産経新聞とかが載してくれたらオモロイねんけどな。実態は表に現れる数字の何割ないし何倍増しになるんやろけどな。
 
「隋唐統一後に、南支那の風気は一層開発されたが、その実こは南支那の北部、即ち今の江蘇、安徽、浙江、江西、湖北方面に限つたことで、南支那の南部に在る、今の湖南や江西の南辺、乃至福建、広東方面は、唐時代に於ても、その文化頗る微々たるものであつた。福建地方で、古来尤も勢力を有した、林、黄、陳、鄭の所謂四姓も、晋室南渡の頃に、北支那からこの地に移住して来て、文化の萌芽を扶植したと伝へられて居る。されど福建の開発の永嘉の乱に負ふ所は、勿論江浙二省のそれに比して、極めて軽微のものに過ぎぬ。隋唐時代から科挙の法即ち一種の高等文官試験法が行はれ、明経とか進士とか、それぞれ実力試験によつて、天下の人材を登庸することになつた。所が唐の中世以後まで、福建出身者の登科したものが、極めて寂寥たるのを見ると、当時の文化の程度の貧弱なること、察知し得て余あると思ふ。現に唐の中世の独孤及は、「閩中(福建)無儒家流」と明言して居るではないか。福建の天荒を破つて、始めて登科した人として知らるる薛令之とか、何れも唐の中世に出て居る。その以後でも、余り人物はこの方面に見当たらぬ」
 
「破天荒」ちゅう語は「君子豹変」同様に今では本来の意味では使われへんけども、唐代の人劉蛻が荊州(湖広)人として初めて科挙に合格したことを当時は「破天荒」と形容した訳で、つまり「今まで誰もなし得んかったことをした」ちゅう意味やな。いずれにせえ、古今東西、都から遠い地域の知的水準が低なることはほぼ例外なしのことで、現代日本などはその数少ない例外て言えるやろう。
 
いわゆる台湾光復後の混乱(二・二八事件などの白色テロルその他)は、日本式のかなり清廉な統治に適応した閩南(福建南部)人を中心とする被支配階級と、統治能力の低い支配階級の国民党軍との衝突によるモンで、本省人総統が誕生するまで続いた台湾政府と民衆の対立もまた歴史の必然やったて言えるやろう。せやさかい、歴史を単なる暗記物の科目やなんて思てる受験生は、その考えを改める必要がある。それがでけんかったらあんましエエ大学入られへんで。(つづく)