E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

速報・中共崩壊への道 (169)

80 年代中頃、亡父が韓国へ個人旅行したときの話や。蔚山の造船所を見に行きたいちゅうて地元のタクシーを雇て案内してもろたらしい。
 
そのタクシーの運ちゃんは誇らしげに「韓国では造船ができるようになりました。日本はどうします?」と言うのに対して親父は、「いやいや、ご心配には及びません。日本は造船以外で食べて行けますから」と応じた。その当時、日本では電子産業が隆盛してたことを、韓国の運ちゃんはしらんかったらしい。
 
韓国の造船業は日本の技術移転によって始められ、そんででけた蔚山の造船所をコピーした造船所が玉浦(巨済市)など各地にでけて、遂には韓国は造船世界一と言われるようなった。せやけど所詮はコピーしかでけん中古民族の哀しさや。造れるんはタンカーや商船など一部の船種に限られ、客船とかは得意やナイ。せやから昨年の韓進海運の経営破綻に象徴されるように世界同時不況による海運業の低調の煽りを受けて全体的な受注が激減し、大宇造船に至ってはべらぼうな粉飾決算がバレてまう始末や。セウォル号事故の遠因の一つもここにあるて考えれるな。
 
鉄鋼業についてもこれと同様で、例えば高抗張力鋼みたいな機能性のある鋼材製造技術の水準が低いことから日本に再逆転されたある。それどころか、インドネシアで製銑プラントの大爆発事故を起こしたりと、基本的な製鉄技術すら覚束ない程の程度の低さや。こないお粗末な工業力で「日本を超えた」言うてんねんさかいどもならんわ。
 
朝鮮半島がその肥沃とは言えん国土条件のため長い足踏み状態が続いたように、中国最南部でもそれと似たような状況があった。
 
「広東方面となると一層未開である。漢時代から六朝を経て、唐時代にかけて、嶺南地方は政治犯罪者、若しくばその家属の遠謫される場所であつた。唐の韓愈が、憲宗の仏骨を迎ふるを諫めて罪を得、潮州に流された。潮州は今の広東省の潮安県に当る。有名な「雲横秦嶺家何在。雪擁藍関馬不前。」(『韓愈黎集』巻十所収「至藍関示姪孫湘」)の句は、この時の作で、秦嶺も藍関も、唐都長安から潮州に至る途中の地名である。同時代の柳宗元も亦、王叔文の党与として、憲宗の咎を受け、永州(湖南省の南部)の司馬に貶せられ、ついで柳州(広西省の東部)の刺史に移されて、この地に終焉した。彼の詩句に、「一身去国六千里。万死投荒十二年。」(『柳河東集』巻四十二所収「別舎弟宗一」)とあるのは、柳州の作である。実際嶺南は唐時代でも、蕃漢雑居の有様で、風気が甚だ開けぬ。勿論科挙に応ずる者も頗る尠い。故に当時嶺南の官吏は、多く特別任用によつて、土着の人を登庸した。之を南選といふ。要するに唐五代時代にかけて、嶺南地方は一般に蛮夷の区と認められた。故に五代の時に、南漢の王、劉●(●=龍の下に共)の如きは、自から蛮夷の主と公言して居る。
併しこの嶺南も一面では貶謫された政治犯罪者や―智識階級に属する―その家属たるいはゆる落南の士大夫の子孫が、その儘南方に永住する者次第に多きを加へ、又一面では唐末五代の乱に、中国の士人の難を嶺南に避くる者が尠くない等の理由によつて、代一代と文運も開けて行いた。五代時代に福建に割拠した閩や、嶺南に偏在した南漢が、相当文物の備はつたのは、北方避難の士人の助力に負ふ所、多きこと申す迄もない」
 
中国は諸外国に比して国土面積が広く、日本人みたいに海洋に馴染みのある民族がおらんので、天子の逆鱗に触れた者の多くは「島送り」とちごて越(粤;広東)や桂(広西)などに流謫されてる。韓退之の「左遷せられて藍関に至り姪孫の湘に示す」は漢文の教科書に載るぐらい有名な漢詩で、憲宗への「仏法を信じる天子は短命」ちゅう諫言が元で流謫される途上の韓愈を見送りに来た兄弟の孫の韓湘に己の鞏固な信念を示すために誦した七律やな。中国は江南地域でさえも漢族が恐れる風土病があって、これも赤壁の戦い曹操軍が敗れた原因の一つとされるぐらいやから、潮州に瘴気溢れる川流れとるて妄想があってもおかしない思うわな。
 
流謫された衆が文化を開くんは、我が国に平家の落人らによって築かれた小京都があるのと似たようなモンで、こないして都の文化の断片が遠国に伝播されるんかちゅうことやろな。流謫された先で土民からは「都から来た文化人官吏」として一目置かれる存在になるやろから、そないしてじわじわと文化が拡散する効果はあるやろな。
 
ただ、役人の派遣先のもともとの文化水準が低い場合、当然ながら文化拡散にも限界がある。使用言語が違う場合などはさらにその効果が減殺されるやろから、地味豊かとはお世辞にも言えん朝鮮半島で独自文化が花開くことなど考えにくい。宦官などの悪しき中国の風習を無批判に導入することに何の疑問も感じへん民族にでけることには限りがあって、それが彼らのパクリが多い原因なんやなかろうか。(つづく)