E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道 (167)

漢民族が支配する今の中共は「痴漢政府」である。彼らは「中華民族」なる概念を振り翳すけどの、漢族には例の中華思想があるさかい伝統的に胡族を蔑視する傾向が強い。んなモンやから、通婚は極々一部の上流階級やエリート層に止まり、中華民族は人工概念の域を脱してはおらん。
 
その一方で、北京の「痴漢政府」は、西蔵自治区で漢族と蔵族の間の通婚を奨励する政策を打ち出しとって、これは民族浄化の一環やないかて想像される。チベットからは、自治区政府による妊婦の強制堕胎が行われたあるとの報道もあるんで、民族浄化の疑念は晴れそうにあらへん。今や漢族は満蒙回蔵諸族よりも野蛮な民族に転落してしもたみたいやな。
 
でも、繰り返すようやが、五胡・南北朝期では、漢族の方が胡族よりも文明的やった。
 
南北朝対立の際、南朝北朝を排して索虜といひ、北朝南朝を斥けて島夷といひ、互に誹詆を逞くして、正閏を争うた。正閏如何の問題は別として、公平に両者を批判すると、北朝は土地は中原を占めて、その主人は左衽の夷類である。南朝は土地は島夷に属して、その主人は衣冠の華族である。北斉の顔之推は、当時に聞えた識者であるが、彼は南北を比較して、「冠冕君子南方為優。閭里小人北方為愈。……而南染呉越。北雑夷虜。皆有深弊」(『顔氏家訓』巻七、音辞篇)と評して居る。こは主として言語音韻に就いて下した評ではあるが、推して一般の風気の相違にも応用することが出来ると想ふ。当時北土の民間には、猶ほ漢族多数で、その習俗は南方呉越の民衆に優つて居つたが、南朝の卿相は漢族の甲姓で、その風尚は遥に北朝の高官―多くは夷虜出身たる―に優つて居つたのである」
 
鹿児島方言に田舎者を指して言う「ジゴロ(地五郎)・島五郎」ちゅうのがあるそうやが、北朝南朝を卑下する島夷の語は、この「島五郎」に通じるモンがありそやな。西郷隆盛は流謫を許された後、島津久光を「ジゴロ」言うた咎で再度「島五郎」の住まう薩南の島に流されてしもたちゅうがな。実際、この久光は無能とは違うかったが極度のヘンコ親父で、維新後も髷を落とさん超保守的な姿勢が嫌われ、明治政府から黜けられてまう。「ジゴロ」言われるんも当然やろう。
 
まあ要するに当時は、北と南による「ジゴロと島五郎」の罵り合いに近いモンがあって、どっちゃもどっちゃやったんが実情やろう。(つづく)