E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道(158)

もしか中国人の大半が日本人と同レベルの生活をエンジョイでけるようになると仮定したら、そのために必要な食糧及びエネルギーは莫大な量を数え、地球のキャパを超えてまう危険がある。地球環境のことを考えたら、日中の共存共栄など考えん方がエエのやないかえ。
 
「かくて私は日支の共存共栄の実現を、余程困難とは思ふが、その実現を到底不可能とまでは、未だ望を絶つては居らぬ。そは近時支那の言論界の一隅に、極めて微弱ながら、幾分反省の機運を認め得るからである。既に昨年十一月の『北京週報』にも、「支那言論界の覚醒」と題して、早くこの事に注意して、支那の言論界の調子が、一時に比してやや冷静着実になつたことを指摘して居るが、私の尤も心を惹いたのは、本年三月発行の『史学●志(●は衣扁に集)』創刊号に掲げてある、繆鳳林の「中日民族論」一篇である。繆鳳林は南京(?)の中央大学で日本歴史を担任して居る少壮学者である。彼の「中日民族論」は、一万言にもなんなんとする堂々たる大論文で、その要旨は、中国と日本との両民族の優劣を対比すべく、独立自尊心、努力向上心、責任観念、殉公観念等の諸項に亘つて、所汎方面で、中国人が遥に日本人に劣れる所以を、一々過去及び現在の事実に拠って証明して、劣れる者は優れる者から圧迫を受くるは当然であるから、中国人は空しく悲憤するより、専心改善の途に努めて、日本人と並馳し得る実力を養成すべきを勧め(中略)て居る」
 
と先生は記す。せやけど、確かにサーチナやレコチャには日本人と中国人とを比較すると中国人は劣るとする記事は少なくないけども、その一方で日本人をディスる言論が衰える気配は感じられん。もっともそれは、日本人が中国人に劣るとかとちごて、彼ら一流のものの見方と考え方を駆使して、日本人には裏表があるやの、帝国主義的やの、変態やのと決めつけてディスるねん。まあこれには多分に反日プロパガンダの影響が見て取れるんやけどな。
 
無論、産業界などを中心に、日本人の「匠の精神」から学ぶべきとかの声が挙がったあって、変化の萌芽が見られんでもあれへん。せやけども、匠の精神ちゅうのんは多分に滅私奉公の姿勢があらへんとなかなか身につかんモンや。滅公奉私でしかも伝統を守る意識が低調で、さらには、利に聡いけどもすぐに儲かりそうな他業種に目移りする民族とは無縁の代物やろう。このテの掛け声は掛け声倒れに終わるんが中国であり、ナンボ上が笛吹けども下が踊らんさかいそないなるねんやんけ。
 
中国人を改造するためには、まず大々的な治山・治水事業を行って農業を安定さして、彼ら同士が食を奪い合う習慣を忘れしめる必要があるで。そうでなかったら、「他人を出し抜いてでも生き残ってやる」ちゅうこすい精神は洗い流されへんやろし、その刹那的思考かて永遠に改まることもあれへんからや。(つづく)