E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道(156)

先に紹介した「国際間の驕児としての支那」にも書いたあったように、民国が驕慢なったんは列国が民国を甘やかしたからや。せやさかいに、おんなし過ちを繰り返さんように、日米欧は中共をしばかんとあかん。しばく言うても戦争仕掛けるんやなしに、政治的・経済的・軍事的のありとあらゆる手段で中共に注文・制裁・威嚇を加えるだけでエエ。諸外国でも中共の正体はバレつつあり、対中制裁の機運は高まって来た感がある。
 
「(中略)暴を以て暴に代ふことは勿論大人気ない。さればとて我を仇敵視する相手に、阿諛迎合の態度を取り、その機嫌を買ふにも及ぶまい。約十年前に私が唱導した、孔子の所謂「以直報怨。以徳報徳」の八字が、依然今日の我が対支政策の方針として、循奉すべきものであらう(「対支政策管見」)。以直報怨の方針を固執して、彼等支那国民の反省と覚醒とを待つより外に、良策がないかと思ふ。我が日支の共存共栄といふ政綱は、炳として日星の如く掲げられて居る。その政綱の実現の能不能とは、一に繋つて支那国民の反省如何に在る」
 
桑原先生はそない言うて日本の外交政策をもっと厳しい目にせよと説く。それは恐らく正しい思うけども、果たして彼らが反省などすんのやろか?
 
支那国民が早晩反省するであらうか。こは一つの疑問である。世界の中でも、支那人ほど無反省な国民はなからう。一体儒教では修養の一工夫として、反省を奨励する。『論語』に吾日三省吾身といひ、『中庸』に「射有似乎君子。失諸正鵠。反求諸其身」というて居る。宋学では存夜気とて、夜静に人定つて後ち、その一日の自己の言行を反省することを、修養の第一義として居る。所が支那人には反省がない。丁度好色宜淫の支那国民の間に、男女有別といふ礼教が高唱されて来たと同様に、若くば万事極端に走る支那人の対症薬として、『易』に中正を説き、『中庸』に中庸を説くと同様に、若くば捨命不捨財といふ程、利慾第一主義の支那人の間に、先義後利の道学が高唱されて居ると同様に、支那人が余りに無反省であるから、その欠陥を匡正すべく、彼等の先覚者が、しかく反省を奨励したかと思ふ。兎に角支那国民は、概して自己反省が足らぬ」
 
そうや、孔子様は中国人に反省が足らんことを歎いて「論語」を著したんや。その他の四書五経の類かて、修養の足りん中国人のための対症療法薬に過ぎんのや。原因療法を探さんとあかん。
 
彼ら中国人に自省を求めることは、それこそデデムシが鳴くまで待つような所行や。せやさかいに、彼らを反省さして改めさすためには多少なりとも困らさんとあかんのや。(つづく)