E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

速報・中共崩壊への道(151)

自国の歴史を無批判に称揚し、他国の歴史を非科学的に卑下する中国人やけども、それは彼らが今なお中世の世界の住人なんでしゃあない。せやから、この国との付き合い方は「委員会NP」で竹田宮恒泰王殿下の主張される通り、「どーも」「今日は本当にいいお天気ですねェ」ちゅう中味のあれへん会話交わすだけでエエねん。これまで紹介してきた桑原先生の著作にあるように、中国人自体が極め付の空疎な存在でしかあれへんのやし、対日宣戦なんてわざわざ国家崩壊の引鉄を引くようなアホなことようせんで。
 
ただ、せやからこそ、彼らは利用でけそうなモンは何でも利用する。先生は以下のように書いて警告することを忘れてへん。
 
「礼制や法律に限らず、政治でも外交でも学問でも、支那人のそれは、すべて表裏が多い。主張する看板と行動する生活の間には、著しい懸隔がある。表面の看板は、平常は飾物に過ぎぬ様であるが、決して死物ではない。尚古的な支那人の胸臆に、伝統の看板に対する執着は、潜在意識として、相当強く根を下して居る。丁度休噴火山の如く、機会を得ると活力を復し、時には意外な爆発を生ずることもある。故に看板も決して軽視することが出来ぬ。支那の礼制や法律が、看板通りに実行されて居らぬことは、已に述べ置いたが、この礼制や法律も、時に看板通りに、否看板以上にさへ厲行されることもある。有為の学士が、病中の介抱に女中を近づけたといふ嫌忌で、郷党の清議に触れ、その生涯を葬り去られた。有力なる大臣が、帷簿不謹といふ理由で、廃黜されて居る。唐の或る官吏は、忌中に礼を守らぬといふ理由で、流謫されて居る。儒教の本尊の孔子の文廟は、支那の各地方に設置されてあるが、春秋二期の祭享の時を除き、平常は多く乞食の棲居となつて居る。されど之を粗末に扱ふと、由々しい結果を招来することもある。長髪賊が各地方の文廟を粗末にした態度が、官軍に口実を与へ、尠からずその発展を妨げた。これが長髪賊凋落の一原因とさへ伝減られて居る。
由来我が国の支那学者の多数は、経伝を基礎として、支那の表看板のみによつて、支那を解釈せようとする。丁度十八世紀のフランスの学者が、専ら経伝を研究して、支那の真相を解釈せんとしたのと同様である。自然支那を実際以上に買被り過ぐる嫌を免れぬ。之に反して所謂支那通と称せらるる実際家の多数は、余りに支那の伝統的表看板を軽視して、現在の実状のみによつて。支那を解釈せようとする。丁度十九世紀の英人の態度と同一である。英人は経伝の研究よりも、語学の練習に重きを置き、過去の文化の闡明よりも、目前の実状の調査に力を尽くした。自然看板や文化を無視して、実際以下に支那を軽侮する弊に陥る。併し此の如きは、何れも盾の半面の観察で、全体の解釈としては、不十分と申さねばならぬ。全体の解釈としては支那人の表裏両面に渉つて、観察せなければならぬと思ふ。この表裏両面の観察が、謎の支那に対する解釈を、幾分容易ならしむべしと思ふ」
 
わしが桑原先生の著作を開くことにしたんは、サーチナやレコチャだけに頼っとっては、中国の実情の分析には限界があるて感じたからや。しかるに、中国の研究者は数多くおるけども、その大半が当時の英国人と同様に、現今の中国を観察するだけで満足したあるように見えてならん。中国経済の今後を予想する場合にも、中国の歴史・地理や古典の知識が少なからず役に立つとわしは信じるけども、中国研究者のほとんどが、「中国通」に毛ェ生えた程度では心許ないわな。
 
一方で、中国のことを未だに「眠れる獅子」て買い被る衆が日本にも少なからずおるんもまた事実や思う。恐らく、彼らは中国について格別の知識があるわけでなしに、面積が大きく人口の多いこの国のことをただ漠然とした目ェで見てるだけで、明治の人士らの「ロシヤの如き巨大なる国に勝てる道理無し」と一緒やねんな。もし彼らが田中オラガビール義一がロシア駐在武官の時に見て来たロシアの士官学校の乱脈ぶりをしったならば、少しはその考えかて改まったんと違うかのう。
 
歴史原理主義者の中国人が看板を偽りつつ看板を大事にするんは至極当たり前のことで、日本人が呆れるぐらいに自己に都合の悪い歴史を隠蔽すんのもまた至極当然て言えるやろう。こういう国はなるだけ相手にせんことが肝要で、萩生田官房副長官の発言の通り、アパホテルの件は「政府として発言するつもりなし」でエエねんやんけ。(しまい)
 
これで「応答支那論三則」は終わりや。次回からも桑原先生の著作を紹介することになるやろう。