E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

速報・中共崩壊への道(150)

何度も書くけどな、中国人は「21世紀の中世人」なんや。そうでなかったら、科学的考察をすっ飛ばして「南京大虐殺30万人」なんて主張なんかせえへんし、彼の国の政府機関が「抵制アパホテル」とか野蛮極まりない発言をするわけあれへんがな。
 
支那は礼儀第一の国であるが、あらゆる礼儀の中で、喪礼が一番大事である。喪礼に就いては、死者に対する哀情を尽さしむるべくその期間に於ける居処、飲食、言語、服装、哭式等に関して一々煩細なる礼制が伝へられて居る。『唐律』を始め支那歴代の法律は、皆明文を掲げて、所定の喪礼の厲行を要求し、之に違背する者には、相当の処分を加へ、殊に親の喪を忽にする者は、十悪の中の不孝に加へ、重きに従つて処分を加へる。
されどかかる礼制かかる法律も、現実の支那では、多くの場合その儘には実行されて居らず、実行せずとも、之に対する制裁や刑罰は、必ずしも厲行されて居らぬ。第一支那人の喪礼には、肝心の哀情の伴はぬものが多い。
五胡時代に、後燕の昭文帝の皇后の苻氏の喪礼の時、百官が宮廷に会して、挙哀の式を行うた。一同形式的に大声を掲げて哭するのみで、泪など流す者が一人もない。昭文帝は彼等の空々しい行動を心憎く思ひ、監視の役人を置き、泪を流さぬ空泣きの者を調査して、処分を加へさせた。百官は之を恐慌して、次の式日からは、皆懐中に唐辛一包づつを用意し、哭する場合には唐辛を含み、強ひて泪を出して処分を免れたといふ。南北朝時代の宋の孝武帝の殷貴妃の葬式の時には、懸賞附きで百官に哀哭の競争をさせた。劉徳願といふ者は、撫膺擗踊。涕泗交流といふ有様で、哀情尤も真に迫つたので、第一等賞を嬴ち得て、予州の刺史といふ重い官職、日本ならば差詰め東京府知事ともいふべき位置に出世したといふ。支那ほど喪礼の喧しい国はなく、支那ほど喪礼に哀情の伴はぬ国がない。今日でも支那の葬式は、外形の仰々しき割合に、毫も哀感の実情が見えぬ。喪主その人が、葬列に立ちながら、喫煙しつつ談笑するなど、われわれ日本人から見て、腹立たしく感ぜらるる場合さへ稀有でない」
 
かように中国人ほど「ホンネとタテマエ」の乖離甚だしい人種は他におらんやろう。「日本は心から中国に謝罪してはおらぬ」とはどの口が吐かすか。それにや、一掬の涙を流さん方もさることながら、「空泣きの者を調査」する方もする方やし、「哀哭の競争」さす方もさす方やな。つまりここでも、孔子が中国人の資質を歎いて「論語」を著したんとおんなし図式が見て取れる。中国人は徹底した宗族主義やから、先代の宗主の喪主を務める人は嬉しゅうて嬉しゅうて仕方あれへんやろう。ましてや彼らにとって他人の死なんぞ蛙の面に小便ですらあらへんので、厳しい礼制でも布いとかんと、とことんまで破廉恥になってまうんやろうな。
 
桑原先生が中国人に恨まれる最大の要因は、前にも書いたように、各々の時代において自身の説の証拠となる文献をこれでもかと列挙して、中国人に反論の余地を与えへんとこにあんねん。歴史原理主義者の中国人には、こないして中国の古典を引用してかかって行くんが正攻法や。せやさかい、中国や韓国のことを「厨獄」「姦国」などとネットに書いて口汚く罵る連中は救いようのないアホである。おのれらのやり方で中韓は屁ェとも感じへんのんじゃいアホめ。(つづく)