E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道(138)

中国の現状をしるにはサーチナやレコチャのサイトを見るんが一番やけども、これらのサイトを見たかて中国の現状を分析するんにはあんまし役に立たん。こんなんよりもむしろ、桑原隲蔵先生の百年前の論文読んだ方が余程現状分析の参考になる。

 

現在にも中国の研究者はゴマンとおるし、その数も昭和初期よりも増殖したあるやろうよ。せやけど、所詮彼らは桑原先生に比べたらあまりにも小粒で、しかも専門化し過ぎて大局的な分析がでけてへん印象が強い。専門家は専門に強いだけでなしに広い視野とあらゆる視座がなかったらあかんちゅうことやけども、京大院文学研究科を筆頭に今の人文科学研究の場はそこが疎かになったあるみたいやな。

 

ちゅう訳で、今度は「応答支那論三則」を書くことにする。これは、京都帝大法学部のSという中国問題に興味のある学生の質問に対する桑原先生の回答を載したモンである。

 

A 支那の前途

 

〔問〕近頃日本の有識者支那に対する感情は甚だ宜敷くない。自分(S学生自身)はY博士の講演も聞きS博士の論文をも見たが、何れも支那の前途を見限つて居られる。日支親善の声も漸次下火になつて来た様である。併し自分は支那の如き古き歴史を有し、広き土地と夥しい人口をもつ国の将来は、しかく軽率に見限りたくない。一朝覚醒の時期に際会すると、存外支那の前途は刮目の価あるかも知れぬ。世界の大勢から観察しても、日支両国の是非提携の必要ありと思ふ。

 

いかにも新進気鋭の若者らしい質問であると感じたと同時に、これが昭和初年の学生の質問なんか、まるで現今の中国に対しての質問なんやないかて思た。わしも若い頃は中国人民に自身の姿を投影して、この国の民は必ず立ち上がるやろうと思とった。せやけど、齢を重ねて中国と中国人の実態をしるや、そないな期待は絶対に外れると確信するに至った。

 

それにや、中国は確かに四千年余の長き歴史があるにしても、その歴史に連綿たるものを感じられん。それこそ王朝交代の度毎にブツ切れになったある感が拭えず、同じような過ちを繰り返すだけに終始したある印象がある。それどころか、彼の国は盛唐を頂点として、そっから先の歴史は概ね下り坂ばっかや。改革開放以後GDPは右肩上がりの勢いやけども、それは中国人が賢明になったからではあんめえ。いずれ限界が来るわい。

 

〔答〕私もY博士やS博士と同様に、支那の前途に余り望を掛けて居らぬ。事実をいへば、私は寧ろ両博士より遥か以前から、ほぼ支那の前途を見限つて居る。今より二十年前、確か明治四十一年の四月に、当時北京に特派されて居つた時事新報の亀井君、報知新聞の桑田君が主人となつて、北京在留の日本人二十名許りを林ホテルに招待して、一夕の宴を開かれた。(中略)文部省の一留学生であつた私も特に招待を受けて、その席末に列した。

撤宴後主人側の懇望で、来会者は支那の将来に就いて各自の忌憚なき意見を開陳することになつた。丁度支那ではその一二年前に、西太后が立憲預備の上論を宣布し、やがて立憲逐年準備事項をも発表せんとするなど、政界活気を帯びた時期とて、開陳された各自の意見は皆楽観的で、何れも支那の前途を祝福した。A(将軍)の如きは北清事件の際に於ける実験を基礎として、支那人の兵隊としての素質の優秀なるを説き、軍制を革新して、指導宜しきを得ば、支那は将来畏るべき軍国となるべき可能性を熱心に主張した。この間に独り私だけは歴史上の智識を基礎として、支那の前途の容易に楽観し難き所以を披歴した。私の意見の核心は、支那の位置あり智識あり、一般民衆の指導者たるべき官紳―官吏及び士人―階級の腐敗堕落である。彼等には精神もなく真心もない。この腐敗堕落は幾百千年来の積弊伝習で、一朝一夕に改善し得る望がない。不誠無物とは千古不磨の格言である。立憲にせよ共和にせよ、政体は死物である。これを活用するは人である。肝心の人がなくては、如何なる政体でも十分にその機能を発揮することが出来ぬといふに在つた。

この招宴に列席された一人のY博士は、近頃私に向つて、二十年前の私の述べた支那の前途に就いての所見は一番正確で、その所見の正確なることは、年と共に判明して来たと告白された。支那問題に関する我が国の権威者と推されるY博士からの賞賛は恐縮の至りであるが、そは兎に角、私の支那の前途に関する意見は今も昔も格別変化がない。依然として悲観論者である。

 

軽佻浮薄な連中はテレビ・新聞やネットで得た最新の情報のみを元に現状の分析を行う。それに対して桑原先生のように真に学殖豊かな人の分析は違う。百目鬼恭三郎は「テレビ・新聞などでもてはやされる学者の大半はニセモノである」と言い切ったが、それは真実やろう。中国は既に崩壊に向かっとることは明らかやのに、それを声高に主張する学識経験者はまだ少数や。21世紀初頭のこの現象を後世の人々はどない評価すんのやろか(今よりもアホになったある可能性は高いがの)。まあいずれにしても、親権者は子供に対して「テレビやスマホばっかしてるとアホになるぞ」言うべきやろうよ。質的に活字に勝るメディアはあらへんのや。朝■新聞みたいな例外はともかくの。(つづく)