E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道(137)

桑原先生の「国際間の驕児としての支那」もやっと終章や。ここまで長時間かかったけども、これを読んだら日本の対中外交の基本が見えて来るはずで、これまでの誤りを正すことに役立つ思う。

 

「我が国の対支外交は、勿論ワシントンの九国条約の精神を遵奉せなければならぬ。実をいふと、九国条約は余り支那の内情を理会せぬ、米国のルートの立案した原則などを骨子として作り上げたもので、第三者から観ると、随分不完全の点がないでもない」

 

それどころか、九カ国条約は、中華民国の国境線を決めんままに中国の自主性を重んじたモンやったし、しかもソ連邦を取り込むことなしに結んだ条約やった。それはただ中ソ両国のやり放題な状態を招来してまうだけの結果に終わり、チベット東トルキスタンその他の併呑を許すなど今日にまで禍根を残すことなってんやな。

 

「その条約の第一条第二項に、支那自身の有力にして基礎鞏固なる政府―an effective and stable government―を完成支持する為とあるが、その前提となるべき支那人にかかる能力ありや否やが、一つの疑問であらねばならぬ。疑問であればこそ、時々支那の共同管理が問題となるのではないか。「支那とは何ぞや」といふ問題は、ワシントンで相当注意されたが、「支那人に統一の能力ありや」といふ問題は、遂に注意されずに終つた。恐らく列国は支那人に有力にして鞏固なる政府を完成する能力あり、又支那人自身が鋭意その官制に努力するものと認定したのであらう。我が国もこの認定を基礎として、その完成に十分の同情を寄せ、併せて十分の注意を払うべきである。それには先づ支那人をして、我儘や暴力は決して目的を到達すべき捷径でないことをよく理会せしめ、彼等をして規律を守り秩序を尚び、安全なる大道を歩ましむるが、第一緊要事であらねばならぬ」

 

まことに残念やけども、今の中国人にも「有力にして基礎鞏固なる政府」を完成支持する能力なんかあれへん。そうでなかったら反日政策みたいな稚拙極まりないことやるかいよ。彼らの能力で完成でけるんは、せいぜい天子(国家主席)が君臨し人民に苛斂誅求を以て臨む前近代的圧制以外にあれへんわい。これまでここに千度書いたように、中国人は至ってワガママで他人のことなんぞ歯牙にもかけへん、およそ秩序や規範とは縁遠い存在で、しかもその思考は極めて刹那的で、国家百年の計を立てるんに最も不向きな民族なんや。せやさかい、彼らに「我儘や暴力は決して目的を到達すべき捷径でないことをよく理会せしめ」るためには、軍事的圧力を印加する以外に手はあらへん。それは中国人には「規律を守り秩序を尚」ぶようなれることなんか全く期待でけんからや。軍事的圧力いうても何もドンドンパチパチやれちゅう意味やナイど。我が国にあっては憲法九条を改めるだけでも、中国にとってはかなりの圧力かけることになんねんからの。

 

「従つて我が国当面の対支外交は、左の方針に頼るべきである。

(一)南京事件漢口事件等に於ける不法行為に対する、誠意ある謝罪賠償を行はしむること。

(二)在留外国人の生民財産権利等の保護につき、完全なる責任を負はしむること。

(三)暴力による国権回復運動は、断然排斥すること。

(四)合法の手続きによらざる課税は、一切承認せざること」

 

現在の日中関係における懸案事項は上記の(三)にほぼ集約されるけども、この国は一旦国難に陥ると、俄かに(二)の問題も浮上することなるんは間違いなかろう。まあ(二)はしばらく置いといて、(三)のために我が国は爪を研ぐ必要がありそうや。でも、九条変えた途端、尖閣附近の接続水域から「漁船」の群れが消え失せるかもな。

 

「この方針を有効に遂行するには出来得る限り列国と歩調を一にするがよい。米国とは勿論第一に協調を希望するが、南京事件の第二回通牒の場合から推すと多分六ケ敷しいかと思ふ。到底協調六ケ敷しくば、遺憾ながら米国を除外せなければならぬ。歩調の協はぬものを強いて合同すると、方針が曖昧半波となつて、自他ともに不利益が多いからである。米国を除いた他の列国ならば、協調し得る見込が多いと思ふ。英国はこの一二年来、支那に於ける孤立の立場にかなり困惑してゐる。近時英国が支那に対して採つた見苦しい迎合政策も、実は困惑の余りの窮策に外ならぬ。昨年来英本国で、日英同盟復活の声さへ漸次聞え出した程である。大体上記の対支外交方針の下に、容易に我が国と強調し得るかと思ふ。我が国の一部の人は、今も英国に対して冷ややかな感情をもつて居り、英国と協調するを喜ばぬ風が見えるが、こは余りに偏狭である。今日の如き対支外交多難の際に、境遇を同じくする日英二国が成るべく歩調を共にするは当然のことであり、又支那人をして反省せしめ自制せしめ、従つて彼等の驕児敗子に堕落することを救済するに、相当の効果あることを疑はぬ」

 

昭和初年と現今とを直接比較する訳には行かんことは言うまでもあれへんし、むしろ今は戦間期と比較すんのが一番適切やなかろうかて思う。米国はチャールズ・リンドバーグらによる「アメリカ第一委員会」全盛の頃の米国にそっくりやし、ヨーロッパ諸国も移民対策に頭を痛めとって考えが内向きになりがちや。このままでは最悪EU瓦解となるんやないかてまで言われとるし、そもそもEU諸国はプーチンさんの方ばっか気になって、中国どころやあれへん。当時の英国に近い立場なんがインドやけども、インドかて今や国内産業隆盛のチャンスなんやし、わざわざ中国とは事を構えたナイやろう。

 

「万万一不幸にして列国との協調不可能の場合には、已むを得ず日本単独にても上記の方針を遂行するがよい。日本単独となると、一時排日を受けて苦境に立つことがあるかも知れぬ。そは左程心配するに足らぬ。孟子も「以佚道使民。雖労不怨、以生道人殺。雖死不怨。(引用者註:「尽心上」)」と述べて居る。生道と佚道とを主旨とする我が対支外交方針は、たとひ一時誤解されることがあつても、早晩必ずその誠意を感謝される筈と思ふ」

 

現在の日本は当にその苦境の真っ只中におる。せやけど、中国が日本に対して釁端を開くことはすなわち中共の瓦解を意味するんで、彼らの軍事力など恐るるに足りん。それにや、これは桑原先生が別のとこで書いてはるけども、蜀漢諸葛亮みたいに、信賞必罰を旨とするも一切私する所なかった場合には、後世に至るまでその徳操の高さが評価されるんや。非は中共にあり理は日本にあるんは世界中の具眼の士には明らかなんやから、「自ら省みて縮くんば縦ひ千万人と雖も我往かむ」の姿勢を貫き通すんが賢明な選択や。ましてや、日本は魏と対峙する蜀漢みたいに圧倒的不利な立場におる訳ではナイねんさかいに、身は諸葛ならずとも諸葛たろうとするに何の懸念もいらんねんがな。

 

ここまで長々と「国際間の驕児としての支那」を紹介するんはかなりしんどい作業やったけども、得られたモノは大きかった思う。それは「中国人は口で言うても分からんさかい、ムチでしばくしか方法はあれへんのや」ちゅう指針がわしの中ではっきりと示されたことや。所詮彼らは中華思想に骨の髄まで侵された病人であって、彼らが東夷と称して蔑む日本の言うことなんか聞く訳があれへんのや。

 

さて、次回からは何を書こうか?また桑原先生の論文の紹介になりそうやけどな。(つづく)