E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

速報・中共崩壊への道(136)

昨日(6日)、日本政府は、日韓合意を無視して釜山市の日本領事館前にウィーン条約違反の疑い濃厚な慰安婦像を設置し、同じく日本大使館前の像の撤去を行わん韓国に対する制裁措置の発動を決定した。日本に対する驕児である韓国に対して厳父の鉄槌を下すことは当に桑原先生の主張に沿うモンであり、「韓国は生かさず殺さず」の実践にもなるんで、これは歓迎すべきことやとわしゃ思うで。

 

さて、「国際間の驕児としての支那」第七章に入る。

 

「大正二年に第二次革命戦争が起り、その九月一日に革命党の根拠地たる南京の陥落した時、北部の張勲の部下が南京在住の我が居留民を掠奪したことがある。蒋介石の部下の南京掠奪は、その蛮行に於てその陋劣に於て、之と何等相違がないではないか。否張勲の部下は、当時の北方軍閥中に於ても、頑迷野蛮を以て聞えた軍隊であつた。然も彼等は流石に我が領事館には一指をも触れなかつた。蒋介石部下の正規兵は、南軍中で尤も規律の厳整を以て称せらるる軍隊である。然も彼等は白昼我が領事館に闖入して、言語に絶せる掠奪凌辱を我が同胞に加へて居る。大正二年の支那政府は、掠奪事件に対して、直に我が国に陳謝し、我が要求の儘に誠意ある処置を採つた。昭和二年の国民革命政府は、その掠奪事件に関する通牒に対して、五個月後の今日に至るも、何らの誠意を示さぬ。十四五年前の野蛮兵に、幾層倍せる蛮行を敢てする革命軍や、彼等が封建の遺物として排斥措かざる軍閥政府すら弁える国際正義を無視する国民革命政府が、覚醒したと称し得るならば、そは余りに安価な覚醒ではないか(中略)」

 

日本の敗戦後に台湾に入った国民党は現地の人々から、「狗去りて豚来る」と評された。もって彼らの拙劣野蛮さが分かるちゅうモンやんけ。おまけにこいつらのアホさ加減は想像を絶するものがあって、蛇口さえ買うて壁につけたらそんだけで水が出る思い込んで、ナンボひねっても水が出ェへんと暴れる始末やったそうや。それだけやったらまだしも、この連中は現地人を搾取の対象としか見てなかって、それに憤激した市民を虐殺するに至ってしもた(二二八事件)。こいつらは国民党の中でもデキの悪いんばっかやったて言い訳が聞こえてきたりするけどな、そういう問題ちゃうやろう。こんなんに何言うたかてムダで、ムチでしばくしか手段あらへんのが現実やろう。日本では征服前の台湾人(本省人)をその文明の程度によって生蕃・熟蕃言うて区別しとったが、もっと野蛮なんが大陸から来てしもたことになるな。

 

「国権回復の点から観れば、往年の義和団事件の方が、或はより多くの同情を寄すべきものかと思ふ。なんとなれば義和団の乱は、列国が支那を迫害して、その独立を危くした際に起つた正当(?)防禦であり、今回の国権回復運動は、列国がワシントン会議で已に支那の独立を尊重し、その国権回復を予約したに拘わらず、不必要な攻撃を列国に加ふるからである」

 

現在の民族自決が当然とされる国際社会では否定されるけどな、義和団事件・北清事変当時の中国には国家としての当事者能力があらへんかったから勃発したとみることもでけるやろう。これが南米やアフリカの小国やったら大した問題にはならんかったが、なまじ中国は広大な領土を擁するとこやったし、列強からしたら恰好の収奪目標なってしもた。さらには中華思想の存在もあって「扶清滅洋」のスローガンが掲げられとったこともあり、柴五郎率いる北京籠城軍は苦戦を強いられてる。

 

ただ、義和団事件を見た西太后は列強の軍事力に怖気を振るうようなり、「扶清滅洋」に代わって「中体西用」が新たなスローガンとして掲げられるようなった。まあ、中国では今も昔もスローガン倒れに終わるんがオチで、実現されたスローガンはその次の「滅満興漢」の前半分だけや。漢民族による強国化の夢は今に至るまで実現してへんし、今後も半永久的にその実現は不可能やろう。それは、市民の不満を誤魔化すための「抵制日貨」「打倒小日本」についても同様で、日本人は「ああ、また中国人がアホなこと吐かしとるわい」て高みの見物をしとればよろしい。

 

次回は最終章の第八章の予定や。(つづく)