E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道(134)

これまで機会あるごとに書いて来たけども、中国人のメンタルは日本人のそれとかなり違う。見た目はよう似たあるのんに、環境が違うとこうも違うようなるんかと感心せざるを得ん。それに、彼らの刹那的な思考は四千年余の歴史の産物なんで、一時的な環境の変化なんかで簡単に変わるモンとは違う。国の体制が変わっても中国人は中国人なんや。それは「上に政策あらば下に対策あり」の語に凝縮されたある。要するに彼らは上から下まで万事徹底して場当たり的なんやな。

 

今回からは桑原先生の「国際間の驕児としての支那」第六章に入る。

 

「我が国民の中には、今日でも支那人の覚醒に同情を寄する者が多く、更に国民革命政府の国権回復運動にも、同情を寄する者が相当に多い。(中略)」

 

上に書いたみたいに、中国人はそない簡単に覚醒なんかせえへん。わしの考える真の覚醒は、彼らが刹那的・場当たり的な思考を放り出して、国家百年の計を考えるなどの中長期的な視野が開かれることや。これについては、今日の中国人のネット空間での発言を聞くにつけ、半永久的に不可能なんやないかて思う。治乱興亡の歴史を重ねて得た傷はあまりにも深すぎた。

 

そこへ持って来て、中国人には厄介な習性がある。

 

「一体支那人は天成の宣伝者である。(中略)支那ほど看板を大切にする処なく、支那ほど看板に偽の多い処がない。看板と実物と相違するのは、必ずしも支那に限ったことでないが、特に支那に於てこの相違甚だしいのである」

 

易姓革命の歴史は即ち「裏切り」の歴史でもある。バカ正直な看板を掲げておっては他人の食い物にされるんがオチの社会やからしゃあない。これが「万世一系」で信義を重んじる日本の社会と決定的に違うとこやな。上海で「大江戸温泉物語」のパチもんが堂々と店を出し、著作権が蔑ろにされるんも当然のことで、近代国家に脱皮でけるような感じが全くせん。

 

支那には淫書が多い。此等の淫書は勿論官憲から発売禁止されて居るが、実際坊間では盛に販売されて居る。此等の淫書は、奸淫の為に奸淫を描いたもので、記事実に醜怪を極めて居るが、看板好きな支那人は、かかる淫書を刊行するにすら、奸淫杜絶、道徳増進といふ金看板を振りかざす。(中略)」

 

彼らは日本人のことを「裏表のある人種」と貶しつけよるが、何の何の、中国人の方こそ「ホンネとタテマエ」をうまいこと使い分ける名人やないか。中共が成立してからこっち、春画の類を作成・頒布したら銃殺刑やなって言いもって、あの「けざわひがし(毛沢東の誤読)」は裏で醜悪な少女性愛趣味を堪能さらしとってんからのう。

 

「看板が立派なれば立派なる程、実物との懸隔が甚だしく、偽が多い結果になる。民国の梁啓超は、好偽を挙げて支那人の一大特質と公言して居る。彼は如何なる人たるを問はず、如何なる事たるを問はず、如何なる処たるを問はず、如何なる時たるを問はず、支那人の言ふ所、行ふ所は皆偽の一字を出でずとさへ極言して居る。勿論かくの如きは極言に過ぐるとしても、支那人の言行に偽の多い事実だけは承認せなければならぬ。吾が輩は容易に支那人の宣伝に乗らず、彼等の覚醒の程度に就いて、常に割引して考慮するのは、実にこの故である」

 

否むしろ、桑原先生の主張よりも、梁啓超の主張の方がより実態を反映しとる思うどわしは。でなかったら、歴史を何よりも重んじる国民性の中国人が近現代史を箆棒に捻じ曲げとる事実を説明でけんがな。人民の前に共産党があり、科学の前に共産主義があんのが今の中国なんやから、この部分はホンマ現在の中国を風刺する文章にそっくりそのまま引用でけそうやで。中国人は百年前から一歩も進んでへんのである。

 

次回は桑原先生の著作から一時離れ、別のことを書く予定や。(つづく)