E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道(133)

中国近現代史をしることは現在の中国を理解する上で極めて有益なことがこのシリーズ書いててよう分かった。今回も桑原隲蔵先生の「国際間の驕児としての支那」第5章の続きや。

 

田中義一は自ら率いる内閣で、幣原外交の修正・選挙干渉・特高に思想検事に思想憲兵の設置・治安維持法の罰則強化その他で後の翼賛政治に道を開き、しかも「満洲某重大事件」で昭和天皇の信認を損うなど、めっちゃ評判の悪い男や。

 

せやけど、幣原外交は相手が列強など先進国だけやったら良かったけども、それを山賊にも劣る民国にまで適用したんがまずかったわな。「協調外交」は時宜に適わんかったちゅうよりも、使う国を間違うたちゅう方が正しいんやないかの。

 

「所が列国の対支外交は慈母の愛を施すのみを知つて、厳父の威を用ふることを忘れてゐる。(中略)吾が輩はこの意味に於て去る五月に断行した、我が国の山東出兵を衷心より歓迎する。(中略)されど今回の山東出兵は南京事件(引用者註:1927年南京事件)を前提として可否を論ずべきである。(中略)殊に南京事件の如きは、国家の名誉と威信の上から観て、往年の尼港事件にも余りに劣らざる重大事件である。(中略)事件の内容と実質からいへば、日本国民として、大なる公憤を激発すべきものと思ふ」

 

尼港(ニコラエフスク)事件について簡単に説明すると、これはシベリア出兵の最中に現ニコラエフスク・ナ・アムーレで発生した、露・鮮・中混成の赤軍パルチザンによる住民虐殺事件や。当時の尼港の人口の半数に相当する6千名もの無辜の民が殺されたえげつない事件で、日本人も少なくとも 731 名が犠牲になったて言われてる。この事件によって日本の対露硬化は決定的なって、シベリア出兵長期化の一因にもなったある。

 

ここで言う南京事件とは、蒋介石が北伐の途上で南京に入城した際に、蒋隷下の不逞な連中が日本その他の総領事館などを襲撃した事件のことや。まあ要するにこれは山賊が山を下りて追剥なったみたいなモンで、海軍陸戦兵のみならず民間人にまで死者を出したある。

 

ところが、こん時の日本の対応が極めて甘かった。若槻内閣は日本国内世論が燃え上がることを恐れてこの事件を小さく見せかけることに腐心し、しかも幣原は事件に干渉することを嫌い、列強にもそないするよう説得しようとしてんな。この日本の弱腰が国民党によって喧伝され、後の漢口事件や済南事件につながってしもてんやんけ。列強も日本の対応に疑問を持つようなって、これが第二次大戦の前奏曲になったんやないかとの意見もあるようや。

 

「されば若槻内閣の後を承けた田中内閣が、南軍の山東方面へ前進すると共に、この方面の居留民を保護して、南京事件の覆轍を踏まざるやう、山東へ出兵したのは当然すぎる程当然の処置である。吾が輩の率直なる意見をいへば、南京事件の真相の判明すると共に、直に南方に出兵して、国民革命政府の責任を問ふべき筈と思ふ。(中略)」

 

山東出兵も田中内閣の有名な事績やけども、これについてはプラスの評価を下されてしかるべきやとわしも思う。むしろ批判されるべきは前内閣の若槻と幣原であって、山賊相手にマトモにぶつかって行くんがそもそもの間違いやってんやんけ。現今の中共政府にしたかて山賊に毛ェ生えた程度の代物やねんさかい、幣原路線で行ったら第三次大戦になるかも分からんことを一応警告しとこう。

 

次回は第六章の予定や。(つづく)