E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

速報・中共崩壊への道(128)

今回も「国際間の驕児としての支那」第三章の続きで、1925年前後の英国の対中外交や。

 

英国は阿片戦争南京条約以前から清国と外交関係を築いとっただけに中国通の外交官がようさんおって、対中外交において日本を別格としても欧米を大きくリードする立場にあったんは間違いナイやろう。

 

ところがや、「支那に国権回復の機運が盛となり、打破帝国主義とか打倒資本主義とかの叫声が聞え出すと、最初の矢表に立つのが、支那と関係の深い日本と英国とで、殊にこの両三年来英国が第一の目標に挙げられた」。一応解説しとくと、帝国主義ちゅうのんは独占資本主義の一究極形態で、植民地や租借地から独占的に挙がる労働力・自然・資源(生産の三要素)によって生産活動を行うことやな。帝国主義を民主主義などイデオロギーの対立概念と誤解する向きが多いみたいなんで、一応注意しとくで。

 

まあそれはともかく、この時には既に日英同盟は英国の要請で破棄されとって、「英国は独力で国権回復運動の矢表に立たねばならぬ様な場合が多くなつた」んで、「今更日本を相伴に引張り込み難い。そこで英国としては已むを得ず、支那人に迎合して、彼等の反感を緩和する政策を探らねばならぬ(中略)」とは、外交先進国でありながらあまりにお粗末やないか。まあそんなん言うたら、(125)でも書いてんけども、N・チェンバレン政権の対ナチスドイツ外交かてせやったんやし、ご機嫌取り外交は20世紀英国のお家芸やった。

 

次回もまた同じく第三章からで、当時の日本の対中外交や。(つづく)