E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道(126)

 日米欧の列強が当時の民国に対して寛容的・迎合的になった理由はナンボかあるが、やっぱしその根柢には第一次大戦後のドイツに対する戦勝国の同情みたいなんがあるんやろうと思う。

 

 日清戦役に負けて、改めて「眠れるブタ」やったことを世界中に曝された清国は日欧列強の食いものになった訳やが、それを比較的遠くから眺めとったんが米国やってんな。当時の米国は辺疆(フロンティア)が消失したばっかで、つまり内国的帝国主義侵略が一段落して間ァない頃で、対外的に帝国主義を発露するタイミングを損ねた格好やった。んなモンやから、清国が日欧に蚕食されるんを指咥えて見守るしかあれへんかった。

 

 ハワイの併呑や米西戦争勝利によりグアム・フィリピンを得た米国は、それまでのモンロー主義から転換して、中国の門戸開放による市場開拓を国是とすることになってんな。ジョン・ヘイ米国務長官によるいわゆる「門戸開放宣言」は、清国侵略に躍起になってた列強の後ろめたさを幾分か刺戟したみたいで、同じく後発帝国主義国家の日本の多少の反撥はあったものの、ほぼ好意的に受容されたんやな。

 

 こんだけ見ると、米国の冷徹な計算があるかのように感ぜられるけども、ホンマにそうなんやろか?わしは冷徹ちゅうよりか、米一流の割り切った見方に徹しただけと見る。米国は中国人をビジネスパートナーとして評価しとったとは思えんし、単に国土面積の広大さと人口の多さのみに注目して、俄に門戸開放を提唱したに過ぎんのやないか?その後の「支那に対して採つた機嫌取り政策」にしたかて多分に実用主義的な発想によるモンで、中国市場に入り込めればそんでエエちゅう感じやで。

 

 兎にも角にも、日欧の対中寛容政策に火ィつけたんは米国で、それに気ィ良くした中国は「自己の過失は棚に上げ、自己の尽くすべき義務は顧みずに、無暗に外国に向つて不平を列べ、排外的機運は日一日と彼等の間に瀰漫しつつある」状態になってしもたんやろう。その後も脛に傷持つ列強は「従来の如く協調して有効な対策を講ずるでもなく、寧ろ大体に於て彼等の気儘気随に放任」することに流れたんや。

 

 昔も今も政治家かて人の子やちゅうことがこの論文読んでてよう分かる。次回は第三章で、桑原先生による日米英三国における対中政策の比較と評価が行われてる。(つづく)