E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道(125)

「国際間の驕児としての支那」第一章によると、オランダ・ハーグの第二回万国平和会議の席上で清国代表は「宣戦布告されても我が国は応じないから、その時の規程が必要だ」と発言するも、満場から笑殺されてしもたそうやがな。ケンカ売る方はやる気満々で売りつけてんねんさかい、規程も何もあったモンやないやろに。今の中国の驕慢ぶりを見るにつけ、俄に信じれん話やけども、清末の中国はかくも「可憐羊の如き支那」やったというから、それはそれで驚きではある。

 

一方で1925年前後の民国はちゅうと、「(前略)本年(引用者註:1927年)一月国民革命軍が漢口の英租界を占領した後、その幹部達は、あらゆる物質と生命とを犠牲にしても、国権の回復を現実にすべく、関係諸外国の応否いかんに拘わらず、治外法権の撤廃と不平等条約の破棄とを断行する意思を公言して居る。彼等の目的を貫徹する為には、戦闘の押売りをも辞せぬ気色が明かに読まれる。実に畏るべき猛虎ではないか(中略)」やそうや。

 

ここで注意すべきは、彼らが「国権の回復」なることを言い出したことや。蛮族が国境を侵す行為は明らかに国権を侵害するものであるが、これまで桑原先生が書いておられるように、中国歴代王朝は、蛮族を討伐することは労多くして功少ないとして、「和蕃公主」など小手先の策を弄することまでして、彼らを懐柔して来たんやったな。

 

それが辛亥革命から僅か十数年で羊が猛虎に変わってしもたとは一体どういうこっちゃ?先生は「その尤も主要なる原因は、列国の支那に対する迎合政策と寛容主義が、支那人をして日一日と我儘を増長せしめ、遂に今日の状態に引導したのである。然も今日に及んでも、列国は猶ほその非を覚らず、愈々彼等の我儘を増長せしめつつあるのは、実に慨はしい事と申さねばならぬ」

 

これは実に第一次大戦後のドイツ・ヴァイマル共和国に対する戦勝国の態度にさも似たり。歴史教科書などにある通り、連合国は敗戦国ドイツに対してその植民地を奪うだけでは慊らず、えげつないほど巨額の賠償金の支払いを求めたんやったな。その後の連合国はそれらの行為に後ろめたさを感じるようになったんかドイツに同情的になり、それが結果的にヒトラーの擡頭を招いた訳やったな。列強の民国に対する迎合・寛容もそれと一緒で、孫文蒋介石ヒトラーにされかかっとったんやんけ。原因はそれに加えて、欧米の中国研究があまりにも皮相的なことにもあるやろう。欧米諸国の中国に対する分析はあれども理解に至らずの状態が21世紀の今日まで続いたある印象やな。漢字や漢文が読めんでは突っ込んだ中国研究なんかでけんわな。漢文が読めんのはわしも一緒やけどな。

 

せやから、本来やったら中国研究が世界一進んだ日本が欧米に対する中国への窓口になるんが自然な訳やけども、米国は中国の門戸開放が国是やねんさかい、日露戦役後に日米が次第に対立に向かうようなるんは理の当然とさえ言えるんやな。

 

次回はこの第二章に移る。(つづく)