E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道(115)

政治家は国民の姿を映す鏡と言われる。つまり、政府が腐敗するのは国民が腐敗しとるからやちゅうこっちゃ。現今の中共政府の腐敗も、畢竟は人民の腐敗に端を発するモンや。そういや過去に辛口批評家の百目鬼恭三郎が、慎太郎の著作でブームになったある角さんのことを「腐敗した土壌に生えたキノコ」と評しとったんを思い出した。

中国の歴史が易姓革命やったんは、中央及び地方政府の腐敗に職にあぶれて食い詰めた人民が怒りと嫉妬の炎を燃やしてそれを打ち倒すことの繰り返しやったに過ぎず、決して人民に正義感が強かった訳とは違う。そうでなかったら、桑原先生の「支那猥談」の中に、次のような笑い話が出てくることあらへんわい。

前回に書いたように、歴代の王朝は賊徒の始末に困ったときは「招安」と称して懐柔し、そいつらを官軍にしてまう。

「この匪徒の招安に関して、古来種々の笑話が伝へられて居る。中にも南宋の頃に福建の海賊の頭目の鄭広といふ者が帰順して、相当の官吏に取り立てられたが、その同僚は皆彼の泥棒出身であるのを軽蔑して、役所で会食の折にも彼一人だけを排斥するといふ風であつた。鄭広は聖人面する彼の新同僚が、支那官吏の常習として、何れも中飽—袖下—を貪つて居ることを察知して、一日極めて皮肉な詩一首を作つて彼らの回覧に供した。その詩は、

鄭広有詩上衆官。文武看来総一般。衆官做官却做賊。鄭広做賊却做官。

といふので、その意味は諸君は官吏となつて賊を行ひ、僕は賊を行うて官吏となつたので、唯手段に前後の差あるのみで、畢竟同志と称すべきものなるに、何が故に僕一人を排斥するかといふに在つたから、傷持つ一同は苦笑して、爾後その態度を改めたといふ」

でや、官も民も賊も関係のうて、全ての人民が腐敗しとるんが中国のありのままの姿や。「人を見たら泥棒と思え」が中国の諺やったら、「中国人を見たら泥棒と思え」を日本の諺にすべきや。

繰り返し言うが、この中国人の本性はその四千年余の歴史によりそのDNAに刻み込まれとって、たかが百年の間で改善されるような生やさしいモンではナイ。中国で仕事をするちゅうことは、顧客も従業員も悉く皆が盗賊やちゅう覚悟を持たんとでけんのや。

「鄭広が皮肉つた支那官吏の収賄聚斂は天下に著聞して居る。態々事新しく吹聴するに足らぬ。「爾封爾禄。民脂民膏(原文ママ)。下民易虐。上天難欺。(引用者註:「爾が封爾が禄は民が膏民が脂なり。下民は虐げ易く上天は欺き難し」)と題してある、所謂戒石の銘が各衙門の正面に刻されてあつても、古来の弊風は少しも改まらぬ。民国以来この腐敗一層を加へたと伝へられて居る(中略)」

戒石の銘にいちゃもんをつける意図は毛頭あれへんけども、役所の正面玄関にそれを刻んで置いとくだけで腐敗が改まるぐらいやったら誰も苦労せえへんねん。官衙や領主の腐敗は中国だけの専売特許ではナイ。その証拠は、我が国の陸奥二本松藩(現・福島県二本松市)で1749(寛延二)年にこの四行が石に刻まれてから半年余の後、百姓1万数千人が同領内で一揆を起こしたことに明白や。

余談やけども、何年か前、某朝■新聞で送稿の仕事に従事する某記者が、この四行が書かれたあるFAX原稿を受け取ったが、「民膏民脂」のはずが「民膏民」になっとった。そこで某記者はこれは誤字やから訂正したいて上司に相談したが、けんもほろろに断られ、遠方地域に配られる統合版には「死」のまま記事になってしもた。

その上司の言うには、「送稿とは、送られて来た原稿類をそのまま送ること」やそうや。アホか、そんなんやったら送稿の仕事なんか小学生でもでけるわい。

それに、某記者の言うには、某朝■の校閲部は「校はあれども閲はなし」のテイタラクやそうや。これはどういうことかちゅうと、校閲の「校」とは、a=aを確認することで、「閲」はa≠bであることを指摘することや。間違いを正すんが校閲部の一番の仕事のはずやのに、である。この会社は小学生レベルの人材がいごかしてるてことが分かる。

それでも某記者は、「封」と「禄」が対句になったあるねんけども、「膏」と「死」では対句にならんと理詰めで食い下がって、セット版の段階でやっと直った。ところがこのアホ上司、「セット版から直ったんだから賞金は出ないよ」といらんこと吐かした。これには某記者もカチンと来て「直ればいいんです。銭金の問題じゃありません」とやり返したそうや。

こんな話を聞くにつけても、某朝■のブン屋はアホから順番に偉なって行くみたいで、中国によう似てあんまし上等な組織やないことが理解でけよう。ところでこの某朝■の「爾封爾禄」には後日談があって、この四行を某朝■のお偉いさんがいたく気に入ったそうで、書家に揮毫させて社内の個室の額に飾ったとか飾ってへんとかの話が伝わって来たそうな。

わしが思うに、このご立派な四行は彫心鏤骨するモンであって、石に刻み額に入れても無意味やで。この手の名文句は安モンけの代議士やヨタ記事を売り物にする新聞屋の社長とかが辺幅を飾る手段に使いたがりそうで、自室にこないした額が飾ったある政治屋やブン屋は大概がパチもんと見て間違いあらへん。某朝■はいわゆる「従軍慰安婦」問題で自ら墓穴を掘り、それが改めて証明された感がある。

次回も中華民国の腐敗がテーマになりそうや。(つづく)