E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道(114)

史書は近未来のシミュレータなんで、時にはなまじの速報記事よりもさらに高い速報性を発揮する。せやさかいわしは桑原先生の文章をここで紹介することにしてんがな。今回も「支那猥談」からや。

1923年5月6日、山東省臨城(現・棗荘西)駅で、土匪2千人が列車を襲い、外国人を含む多数の乗客を人質にして山寨に立て籠もる事件(臨城事件)が発生した。民国政府は軍を派遣して説得に当たるも山寨側は折れず、政府はやむなく懐柔策を弄して土匪を正規軍に編入し、山寨の主をその旅団長にするちゅう挙に出て、世界を驚愕さした。まあ驚くんもムリはナイわな。民国政府はまるで北宋末期の「水滸伝」みたいなことを平気でやっとんねんからの。

でも、先生に言わしたら、こんなん中国では当たり前やそうや。それに山東いうたら正に水滸伝の主舞台の梁山泊があったとこやからな。今は川筋が変わって干上がってしもたそうやが、匪賊の棲であることに変わりはあれへんらしい。ちゅうことは、中共崩壊後、山東ではリアル水滸伝が現出することになるやろう。おっとろしいことじゃ。

この事件は、民国の顧維鈞らが「中国の覚醒」を世界の主要都市で喧伝しとった矢先の出来事で、実のところ中国は全然覚醒してへんかったことを証明することになった。百年近く前でこのありさまなんやから、四千年を超える歴史を誇る中国の人民のメンタルが、たった百年ばかりで改善されるとは到底思えん。中国人を理解したい日本人は、もう一度その辺の事情をふんまえた上で、「水滸伝」を読み返して欲しい。そこに出てくる登場人物は、現代の山東人と大同小異や。

それにしてもや、20世紀にもなって、匪賊を懐柔して官軍に組み入れるようなこと平気でやらかす民国は近代国家にほど遠い所にある。同じ中国人が経営する今の中華人民共和国も事情は大して変わらんやろうから、暴徒連中の始末に困ったときはそいつらに妥協するねん。数年前の反日暴動を鎮圧せずに半ば放置したんも、恐らくはこれと一緒の図式やないかて見られる。

「無職の窮民が多く、同時に警察の不行届な支那では、古来土匪や流賊が多い。(中略)支那政府は少し手剛い土匪や流賊等に対しては、多くの場合、之を退治するよりは先づ之と妥協する。即ち利禄と官職とを以て彼等を誘ふのである。支那の記録にはこの妥協に誘ふことを招安といひ、この妥協に応ずることを帰順といふ。招安とか帰順とか文字は立派であるが、その内実は政府は征伐の危険を避ける為め賊徒は利禄の安全を得る為め、双方妥協するに過ぎぬ。(中略)それで宋時代から、「欲得官。殺人放火。受招安(引用者註:「官を得んと欲すれば、人を殺し火を放ち、招安を受けよ」)」といふ諺があつた。(中略)現に臨城事件を起した土匪の如きも、政府を威嚇して招安に応じ、(中略)捕虜を解放すると交換に、一同軍隊に編入せられ、土匪の頭目は旅団長に、以下身分に応じて然るべき軍職に就いて落着して居る」

つまり、現代にあっても中国人は混沌と無規範の世界の住人でしかなく、彼らを文明人として扱うことは不適切である。せやからこそ彼らは安心して大規模な反日デモをやらかすことがでけるし、中共に崩壊の危機が訪れたとしたら、躊躇なしに反政府暴動を展開でけるちゅう訳や。

一般人がこのザマでは、当然のことながら官の側も腐敗が横行する。その辺の事情については次回に回すことにする。(つづく)