E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

速報・中共崩壊への道(113)

今回から暫くは、桑原隲蔵先生の「支那猥談」を紹介する。猥談いうても別に読者をハァハァさす猥褻談義とちごて、これは内容が猥雑な随筆のことである。くれぐれも誤解のなきよう願いたい。

この随筆は先生の晩年に当たる大正14(1911)年の年の瀬に書かれたが、先生はこの時期に至ってもなお「吾が輩は今支那の時事問題について格別の意見をもつて居らぬ」としておられた。そこで、「堅苦しい論文より幾分気楽な随筆の方が却つて似付かはしい心地もするので、標題の如き支那猥談を草することにした」そうや。堅い論文よりも気楽な随筆の方が理解しやすく、しかも真実を抉り出す効果がより高いこともままあるんで、これは寧ろ賢明な選択やないかて思う。

支那は謎の国である。誰人も支那の現在及び将来は難解といふ。これは事実である。されどその謎といひ難解といふ中に、一方では支那そのものが難解であるに加へて、他方では之を取扱ふ研究者側にも不行届の点があつて、難解のものを一層難解に陥らしむる事情がないでもない。支那にも歴史がある。世界の何国よりも長い歴史をもつて居る。この歴史を無視して支那を十分に理会し得る筈がない」

とは、ネットスラングをつこたら「禿同(ハゲしく同意)」である。世に多くの経済学者や評論家が中国の未来を予想する記事を書いとるが、果たしてこの筆者は中国の歴史的な背景や社会環境の現状をちゃんとしっとるのかと、甚だ心もとない気分にさしてくれる文章のどんだけ多いことか。経済にせよ何にせよ、専門家の多くは無教養のために視野狭窄になりやすい弊がある。わしには重箱の隅を楊枝でつんつんするような研究を全否定する意図は微塵もあれへんけども、中国の話をするんやったら最低でも中国の歴史をしらんとあかんやろう。

「所謂支那通と称し、若しくば称せらるる人達の多数は、この方面の用意に欠くる所があつて、謎の支那を一層難解に陥らしむるのではなからうか。彼等の多数は現在若しくば最近十数年位の限られた智識や報告によつて支那を解釈せようとする。そこに弱点があるまいか。現在の事情を明らかにすることは勿論必要であるが、現在のみに即して長い過去を閑却してはならぬ。過去を離れた現在の事情のみから帰納した断案は、基礎が薄弱を免れぬ。現在の事情は過去の智識に照らして、始めて完全に了解することが出来、過去の智識は現在の事情を明かにして、初めて有効に活用することが出来る。温故知新が支那及び支那人を十分に理解する一良法と思ふ(中略)」

これまた禿同。わしも現在の中国人と中国の事情をしる目的でこないして桑原先生著の文章を読むことにしてんからの。それに、中国経済評論家の書く論文やそれをオウム返しにするだけの数多のブロガーの文章と明らかに一線を画するようなこと書こう思たら、歴史から取材するんが定石でもあるんやからの。

せやさかい、中国史の研究者は言うに及ばず、中国経済の見通しを探ることを仕事にする経済学者や評論家は、桑原先生の論文その他に目ェ通すことをお勧めする。斯界の第一人者と称される人物の多くは単なる専門バカなんかやなしに、それなりの教養人でもある、とわしは信じる。

今回は「猥談」前説で、次回からその本文に入る。(つづく)