E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道(108)

中国における桑原隲蔵先生の悪評を決定的にした研究が、中国人の食人肉(カニバリズム)や。

もしか、中国にそんな悪習はあらへんちゅうんやったら堂々と歴史資料を挙げて反論すればエエのやけども、先生の論文は中国の正史である「二十四史」などを根拠にして書いたあるさかい、反論はまず不可能や。反論が不可能なだけに中国人は切歯扼腕して怒るしかでけんさかい、それによって悪評はますます増幅される。

それに、「二十四史」は新王朝が旧王朝を糾弾するためのプロパガンダ的な側面もあるんで筆を曲げた部分も少なからずあるが、それだけに前の王朝のやらかした暴戻無慚な行為は結構リアルに描かれたあるて思われる。何せ、それ以上脚色のしようのないぐらいえげつないことがやられとったとしか思えんのやからな。

まずは、「桑原隲蔵全集」第一巻所収の、「支那人の食人肉風習」からや。

日本においても食人肉が行われたことが全然あらへんかった訳やなく、江戸期の天明の大飢饉では死人の肉を喰らう惨状を呈し、人肉を犬肉と称して売ったなんてこともあったらしい。秀吉による「鳥取飢え殺し」の際の惨状も有名な話や。せやけども、日本のカニバリズムの例は飢饉時や戦時にのみ一時的に現れるモンであり、然るに一方中国のそれは一時的とは言い切れん。20世紀に入ってからもそれが行われとるねんからな。

1919年、露都ペトログラード(現サンクトペテルブルク)で食料欠乏しとった所、「官憲にて支那人が人肉を市場に販売しつつありし事実を発見し、該支那人を取押へて、遂に之を銃殺せり」との外電が流れ、世界を驚かしたそうや。自国内の悪習悪癖を平気で海外に持ち込むんが中国人と見え、その点だけは現在も変わらんみたいやな。

中国では暴君の代名詞の殷紂王は、「自分の不行跡を諫めた翼侯を炙(あぶりにく)にし、鬼侯を腊(ほじし)にし、梅伯を醢(ししびしお)にして居る」が、食人肉は何もかかる暴君の独占物やナイ。「有名な斉の桓公、晋の文公、何れも人肉を食して居る」そやし、孔子様も醢が好物やったけど、愛弟子の子路が殺され醢にされたと聞いてから、二度と醢を食卓に上せんようなった、なんてエピソードもある。凄まじきは「漢の高祖の父太公を擒にし、之を俎上に置いて高祖を威嚇した。高祖は之に対して、幸分我一杯羹(引用者註:「幸に我に一杯のあつものを分かて」)と対へてゐる」。減らず口いうたらそれまでやけど、己の父を茹で殺されそうな息子のセリフではないわな、少なくとも本邦では。いずれにしても、こんなセリフは食人肉の風習がなかったら出てけえへんことは先生の指摘通りやろな。

第二巻所収の「支那人間に於ける食人肉の風習」の方に詳しいが、先生は「隋末の劇賊朱粲を挙げなければならぬ。彼は人肉を以て食の最美なるものと称し、部下に命じ、至る所婦人小児を略して、軍の糧食に供せしめて居る」とだけここには書いてはる。この朱粲の悪行の数々を紹介せん訳には行かん思うが、それは第二巻に移ってからにしよう。

黄巣の乱の首魁として有名な黄巣もせや。「旧唐書」によると、「黄巣の軍は長安没落後、糧食に乏しく、毎日沿道の百姓数千人を捕へ、生ながら之を臼に納れ、粉砕して食に充てた」やなんて、想像するだに気色悪いことをやらかしとる。せやけど、もっとえげつないんは「この時討手に向つた官軍は、賊軍を討伐するよりも、彼らの糧乏しきに乗じ、無辜の良民を捕へ、之を賊軍に売り付けて金儲をしたといふ。随分呆れた話であるが、支那兵の所行としては、あり得ることかも知れぬ」まあこんなこと書いとったら中国での評判悪なるんも当然やろけども、ホンマのこっちゃねんさかいしゃあないわな。

「また『五代史記』に拠ると、五代の初に、揚州地方は連年の騒乱の為、倉廩空虚となつた結果、人肉の需要が盛に起り、貧民の間では、夫はその婦を、父はその子を肉屋に売り渡し、肉屋の主人は彼等の目前で之を料理いたし、羊豚と同様に、店前で人肉を売り出したといふ」から、凄まじいとしか言いようがあれへん。「人肉の需要」て何やねんコレわい。ホンマ中国て餓鬼畜生界やな。

南宋初期にも、山東・京西・淮南で穀価が暴騰したんで、その地方では「百姓も兵卒も盗賊も、皆人肉を食して口腹を充たした」ちゅうから、中国の無規範状態の根の深さを思いしらされるわい。こんなことをしったら、訪日中国人がムチャしよるんもしゃあないて思えて来よるわ。あーあ。

桑原先生は、中国人の食人肉の動機には、飢餓・戦争・嗜好・憎悪・疾病治療に分類されるとしている。このうち飢餓と戦争については上に記した通り日本などでも行われとったことやけども、中国の場合そのスケールが違う。それに、朱粲みたいに人肉好きなんて話は日本では聞いたことあらへんし、日本では「奴を殺してその肉を啖うてやる」なんてことも言わん。そもそも日本では人の屍を「気が枯れた」すなわち「穢れた」ものとして扱うから、これを食うたり、ましてや医療行為に供するなんてことは考えれん話やしな。

冒頭に書いた通り、中国は正史と雖もかなり盛った部分があるんで、その検証には慎重を期する必要がある。せやけども、中国人のカニバリズムの証拠は、当時の海外の旅行客からも齎されておるそうやから、先生の検証は徹底してる。これではまず反論しとうてもでけんやろうから、なおさらのこと先生に向けられる中国人の怒りは心頭に発することになる。

食人肉は日中のみならず世界中にその類例が見られる。「されど支那の如き、世界最古の文明国の一で、然も幾千年間引続いて、この蛮風の持続した国は余り見当らぬ。(中略)支那におけるこの蛮風は、外国伝来のものであるか、若くばその国固有のものであるかは、勿論容易に決定することが出来ぬ。唯極めて悠遠なる時代から、支那にこの蛮風の存在したことは、記録によつて疑を容るべき余地がない」とあるが、わしが思うに、これは何で中国人が足のあるものは机以外何でも食うんかと共通した原因がある。それは、中国大陸の気候が日本と比べると苛烈であり、一度飢饉が起こったらそれは中国全土に及ぶ。そないな土地では、竜(蛇)であろうが虎(ネコ)であろうが選んでられん、人肉かてその例外と違うちゅうこっちゃ。つまり、中国人間における食人肉の風習は内因性の可能性が高い思う。ただ、中国周辺にはもっと苛烈な気候で非農耕民族の暮らす地域があるさかい、断定的なことはよう言わんがの。

「日支両国は唇歯相倚る間柄で、勿論親善でなければならぬ。日支の親善を図るには、先づ日本人がよく支那人を理会せなければならぬ。支那人をよく理会するする為には、表裏二面より彼等を観察する必要がある。経伝詩文によつて、支那人の長所美点を会得するのも勿論必要であるが、同時にその反対の方面をも、一応心得置くべきことと思ふ。食人肉風習の存在は、支那人に取つては余り名誉のことではない。されど厳然たる事実は、到底之を掩蔽することを許さぬ(以下省略)」

残念ながら、中国人は日本人を東夷と看做すことをやめたがらないんで、日中友好は数千年の先にならんと達成でけん思ふ。でもケンカせえとは言わん。せいぜいのとこ、「委員会NP」で竹田宮恒泰王殿下が言われるように隣同士の「どうも」て挨拶交わす程度の間柄でエエねん。せやけど、この悪しき隣人を理解することは絶対に必要なことであり、彼の国の世間に食人肉が一般に行われとったことをしることは日本人には有益な情報やと考える。ただ、わしみたいに中国人の悪習ばっかし見聞きして、李白杜甫らの詩文に親しむことをあんましせんのも問題や思ふ。

さはさりながら、今や中国は北○鮮と同様の世界の鼻つまみ者になったあって、その問題を解決する方法をめっけることが焦眉の急やねんやんけ。せやから、暢気に「国破れてサンガリア」などと吟じておる暇はナイんである。んなことしとったら日本の方が「国破れて山荒れて河濁れり」になってまうかもしれんのや。「李杜の国」の詩歌を楽しむんは、もっと世の中が安全になってからでも遅くはあんめえよ。(つづく)