E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道(106)

「毒には毒」て言われるが、生憎と現代日本には中国人みたいに猛毒を吐ける人間がなかなかおらん。そこで昭和の世からお出で願ったんが桑原先生ちゅう訳や。先生の言はわしら日本人にとっては薬やけども、中国人にとっては猛毒やからな。今回からは「支那人の猜疑心」ちゅう猛毒を吐いて頂こう。

支那人は一般に猜疑心が強い。支那に『一人不入廟。二人不看井(引用者註:「一人で廟に入らず。二人で井を看ず」)』といふ諺がある。一人で物淋しき寺廟に入らば、何時僧侶―支那で僧侶は多く悪徒と見做されて居る―の為に人知れず殺害されるかも知れぬ。二人で井戸を俯瞰する際に、何時相手の為に井底に突き落されて命を失ふかも知れぬ。かかる場合を警戒する諺で、之に由つても、支那人の猜疑心の強い一端を察知することが出来ると思ふ。(中略)兎に角支那では、男女の間柄にも、同僚の交際にも、将た君臣父子の関係にも、常に猜疑といふ隠翳が附き纏うて居る」

ヒーローもののアニメや時代劇の類を見てたら、敵対陣営の内部分裂による弱体化が定番シーンになったあるが、それは現実の世界でも同じやろう。日本の織田信長も猜疑心の強さによって光秀の謀叛を招いたんやないかて思われるフシがあるし、悪の組織なんか悪人の巣窟なだけにメンバー同士の確執も半端やナイんが普通やろし、いつ何時粛清されるかもわからんなんて恐怖が常につきまとうことになるやろうしの。そもそも人民の膏血を絞って我が世を謳歌する北京中南海の連中は悪人に決まったあるし、中国人の政治家は政治を権力闘争の一環としか見てへんやろう。中国の政治史は権力闘争の歴史でしかナイんや。

そんだけに、北京政府へ揺さぶりかける方法はナンボでもある思うで。日中間の政治交流をもっと活潑化さして、中国要人の問題発言を次々と引き出すんもアリや思う。ほんで習近平とかに「この野郎め、俺の後釜を狙ってやがるな」て思わしめたらこっちのモンや。もちろんこれにはマスメディアの協力が不可欠になるんで、テレビ・新聞やネットニュースはそれ専門の人材を養成することを始めるべきや。

「申す迄もなく支那は古来革命の国で、君臣の分定つて居らぬ。『左伝』に、「君臣無常位。社稷無常奉」とある通り、今日の臣下も明日の君上となり得る国である。従つて支那の君主は、赤心を臣下の腹中に置くことが難い。絶えず臣下に対して猜疑警戒の眼を見張らねばならぬ。無力なる君主は、或は願後身世世、勿復生天王家(引用者註:「願わくば後身世世、復た天王家に生まるる勿れ」)といひ(劉宋の順帝)、或は願自今以往、不復生帝王家(引用者註:「願わくば今より以てさき、復た帝王家に生まれず」)といひ(隋の恭帝)、極端なる恐迫観念に戦きつつ、危惧憂鬱なる一生を送る。有為の君は、機会ある毎に宿将や権臣を殺戮して、身後の計を立てる。狡兎死、走狗烹。飛鳥尽、良弓蔵。敵国破、謀臣亡と諺にある通り、支那の君臣は患難を共にすることは出来ても、富貴を共にすることが出来ぬ。漢の高祖は寛仁大度の君として世に聞こえて居るが、その人すら韓信や彭越らの功臣は大概殺害して仕舞った。(中略)温和なる宋の太祖の如きは、巧言を以て宿将を説服して、権要の地を退隠せしめ、刻薄なる明の太祖の如きは、露骨に功臣を誅戮した。手段に寛厳の相違はあっても、臣下を猜疑するといふ心理は、同一と認めねばならぬ」

これが万世一系の日本と易姓革命の中国との違いやな。現代でも習近平国家主席・党総書記・中央軍事委員会主席の地位を独占しただけでは慊らず、トラもハエも叩くと称して政敵の粛清に躍起になったある。これでは国家存亡の危機に際して、頼りになる人材は限られてまうやろう。日本でかて自民党がいざちゅうときに挙党体制で臨み、英国とかで挙国一致内閣を組閣でけるのんとはえらい違いやな。これでは21世紀初頭の乱世を乗り切れまいて。

それに、易姓革命では帝に対する庶民の崇敬の念が涵養されることもあれへんから、皇帝は国民統合の核にはなれん。さなぎだに胡適が砂の如くバラバラで結束がでけんて嘆いた中国人民には結束のための核が必要なんやけど、キンペー君にその任は荷が勝ちすぎやな。かくて、広大な版図を誇る中華人民共和国は四分五裂するしか道があれへんのや。

支那の政治や教育は、儒教を看板として居るけれど、その官制は法家の説に本づく所が多い。法家は人性を悪と予断して、之が警戒に重きを置く。法家の極意は、臣下同志をして相掣肘牽制せしめ、無力なる臣下をして、君権を脅かすことなからしむるに在る。法家の思想を継承する支那歴代の官制は、官吏を信頼するよりも、むしろ官吏を猜疑すべく、官吏を利用するよりも、むしろ官吏を防弊すべく組織されて居る。例へば清朝の官制を一覧しても、官吏の非違を糾察する専門の都察院の外に、多くの官吏が弾劾権を付与されて居る。かくて中央政府の大官に対して、地方長官が弾劾権を有し、地方長官の間に於て、総督は順撫を、順撫は総督を弾劾する権利を有してゐる。此の如く官吏をして相互に監視せしむる官制は、畢竟猜疑心の強い支那人の特質に相応せるものといはねばならぬ。(中略)」

近代法治主義国家の場合でも、法律はものにもよるが性悪説に基づく場合が多い。性善説に基づいた法律はザル法の謗りを免れへんからや。せやけど官制まで性悪説にしてまうと、必要な改革すら誰もやらんようになるわな。それに、こんなんやったら政敵同士の讒訴合戦状態になってしもて、マトモな行政なんか期待でけんやろうよ。

但し、せやからちゅうて日本みたいな官制にしたらしたで腐敗が蔓延することになるやろうな。でもな、自由主義国家でも腐敗は起こるし、腐敗がのうても警察国家なんか絶対あかん思う。警察国家なんか息苦しゅうて何もでけんようなってまうし、それこそ日本の美点とされる相互信頼関係構築なんか望むべくものうなるなど、弊害の方が多い。しかもや、官吏は天子の傀儡人形たるべきことでは弊政を防げんし、国家も国民も前近代的な状態のまま放置されることになるわな。中国人の国民意識が低調で無規範なんは、共産主義も悪いが歴代王朝の罪でもあるんやな。(つづく)