E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道(104)

中国問題を片付けるには、中国人が嫌いな人物を用いるに如くは無し。ちゅうことで桑原隲蔵先生にご出馬願った訳や。先生の論文は現代日本の指針にもなる可能性があるんで、中国研究を必要とする研究者のみならず、政治家、官吏、外交官は無論のこと、中国で事業を行う実業家にも読んで欲しい思う。でも、チャイナスクールで洗脳されて親中派になってしもた連中にどないやって読ましたらエエのやろうか?

今回から採り上げるんは「支那人の妥協性と猜疑心」で、桑原先生はその劈頭で

「日本と支那とは、いはゆる唇歯輔車相倚るべき国で、勿論親善の間柄でなければならぬ」

と言うてはるけども、これはアカデミズムの世界におる人間の辛いとこや思うで。わしみたいに完全に在野の立場やったら「昔から遠交近攻いうてな、隣国同士は仲悪いんがデフォルトなんや。せやさかい、中国や韓国・北韓と仲良うする必要なんかあらへんのんじゃアホンダラアホ」て何の屈託もなしに言えるねんけどなあ。

わしも昔は中韓両国人と共同研究してた立場やからホンマはこんなこと言いたないんやけども、そんでも言わずにはおれんぐらいこれら両国はけしからん思う。この二国では曲学阿世の徒が国の要路やメディア中枢におることもガマンならん。せやさかい、わしはやむにやまれず過去に書かれた論文を武器の代わりに手に取ることにしてんやんけ。

せやから、先生は「両国の親善を図る為には、両国人が互にその相手の気質を理会して置くことが、一番必要と思ふ」て書いてはるが、相手の気質を理解するんは相手と一戦交えるためやとわしは今思う。「一戦交える」いうても別にドンパチとは限らん。経済戦争やサイバー戦争なんかも含めて言うとるねんやんけ。

まずは「支那人の妥協性」やな。先生はこの妥協性を文弱と打算に起源を索めておられるが、打算はともかく、わしゃ近年の中国人が文事に耽ってるとは到底思えんさかい、文弱の根拠はかなり怪しい思う。文事に耽るどころか、筋者がその亜流が今の中華人民共和国を牛耳っとるとさえ思う。

「北支那に標局と称して、旅行者の安全を保障する営業者がある。(中略)北支那一帯、殊に山東地方の古への梁山泊の所在地に当る方面には、なかなか追剥が多い。一家を挙げて、甚だしきは一村一郷を挙げて、行旅を剽掠することを生業とする者が尠くない。かかる物騒な地方を通行する旅客は、標局に就いて一定の保険料を納めると、標局から標車といふ一種の保険馬車を出して旅客を護送する。この標車には幟標が建ててあつて、之には例の追剥も手出をせぬ。これは標師を憚るよりも、標局から予め追剥一同に対して付届を行ひ、双方の間に妥協黙契が成立して居る故である」

我が国にも雲助と呼ばれる人足がおったけども、彼らが徳川幕府との露骨な癒着があったとは思えんし(悪代官や悪道中奉行は概ね「水戸黄門」の世界だけや)、それなりに道中の安全に一役買うてた側面もあると言われとるし、「浮浪雲」のイメージも手伝って中国に比べたら牧歌的な感じがする。一方で「水滸伝」なんか読んでたら、豪傑が酒場で朱貴とかに一服盛られて危うく枝肉や臠(切身)にされてまいそうなシーンあんねんからな。ともかくもこれは、中国人の法治への縁遠さと無規範の例証にはなるわな。

支那人は物質の売買にはよく秤を使用する。葱でも白菜でも、米穀でも豆腐でも、目方で売買する。所が支那では度量衡の規定など励行されて居らぬから、彼等の使用する秤ほど不信用なものはない。(中略)かかる不信用な秤によつて、如何にして物貨を売買するかといふに、売手は成るべく自分に都合のよい秤を持ち出し、買手も亦成るべく自分に都合のよい秤を持ち出し、双方の秤を折衷して目方を決める。(中略)」

近時の中国でも、売り手も買い手も顧客や店主の隙あらば商品のすり替えを狙とるねんやんけ。こない殺伐たる世間に住まう中華人民を時に哀れに思わんでもないが、日本人にも少なからずこのこすからい中国商人の犠牲者が出とるねんさかい、あんまし同情はでけん。

支那では流賊でも馬賊でも、山賊でも、海賊でも、少し手剛いと見ると、政府は多くの場合、之を退治するよりは、先づ之と妥協する。即ち政府は以前彼等の同類たる賊徒で、現在官吏になつてゐる者の如何に栄華を極めて居るかを説き、彼等も之にならひ、一日も早く行を改め官に就くべきを勧め、利禄と官職を以て彼等を誘ふのである。(中略)それで支那には欲得官殺人放火、受招安(引用者註:「官を得んと欲すらば人を殺し火を放ち、招安を受けよ」)といふ諺があつた。放火殺人を行ひ、成るべく暴れ廻りて政府を手古摺らせ、然る後に帰順に出掛けるのが、官吏となる出世法の一番捷径といふ意味である。随分乱暴な諺だが、実際支那にはかかる時代が尠くないから驚く。(中略)」

中国人はメンツを重んじるがためにカネに転びやすく官職に釣られやすいちゅうこっちゃな。多重スパイにするには慎重を要するが、とりあえず扱いやすい。何しろ「水滸伝」にしたかて、梁山泊の豪傑らは北宋佞臣らの懐柔策によって帰順してしもて、いわゆる方臘征伐に駆り出されて体良く始末されてまう筋立てやねんからな。「狡兎死して走狗烹らる」は日本でも幕末の赤報隊に見られるけども、相楽総三は後年名誉回復されてるだけまだマシな方で、中国史ではこんなんよりももっとえげつないことが易姓革命の中で繰り返されとるちゅうことや。

次回も「支那人の妥協性」の続きを書く。(つづく)