E-BOMBERのアホアホブログ

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速報・中共崩壊への道(99)

この連載が100回目になるのを前に、いつもみたいにサーチナやレコチャから記事をひらって来てその所感を書くスタイルから宗旨替えして、暫くはまた連載開始当初みたいに全然速報と違うことを書くことにしたい。



今回から、現代中国においても頗る評判の悪い中国史研究家の桑原隲蔵(1871-1931)の全集を読んだ感想を書いてみよか。久し振りに「桑原隲蔵全集 第1巻」(ISBN4-00-091331-X C0322)を読んで驚いたことは、その内容が現在においても全く色褪せてへんどころか、ますますその色彩が豊かになって行ってるような感じすら与えてくれるんや。

これは恐らく、戦後日本の学生の質が右肩下がりになったあるんと同様に、研究者の質も下がってしもたことと無関係と違う思う。せやさかい、中国を研究テーマにする学者や院生には、桑原先生の論文が載ったあるこの全集が必携の書になるはずや。税抜4700円と決して安いとは言えんけども、わしらかて現役の院生の頃はなけなしの中からこれぐらいの値段の専門書買うたモンやで。少なくとも中国研究を行うゼミはこの全集を全巻取り揃えるべきや。

旧字体で旧仮名使いやし、所々に難読の漢語が出て来よるけども、明治人の研究者が書いた割にはかなり平易で読みやすい文章で書いたあるんで、卒論生や修士の院生でもスラスラ読めるやろう。FランやGランで潰れかけの大学の学生にはムリやろけどな。いや、Bランでも怪しいな。

この桑原隲蔵は、内藤湖南狩野直喜らとともに、京都帝国大学文学部における東洋史研究の基礎を拓いた功労者で、門下生に宮崎市定らがいてる。フランス研究でしられる子息の桑原武夫は京大人文研所長などを歴任し、文化勲章を受章した。

桑原先生がこの世を去ってから既に80年以上経過してるんで、著作権の問題はあれへん。せやさかいにこのブログで全文を掲載したかて問題にはならん。せやけどそれはあまりにしんどい作業なんで、載すにしてもせいぜい1ページ分や。でも、桑原先生の凄さを伝えるにはそんだけあれば十分やろうよ。

大正8年7月末日に書かれた「対支政策管見」なる中国の時事を扱った論文など、そのまま現代の中国に当てはまりそうなことが書かれたあるんで、それをちょっとここに書いてみる。

「刻下日本の外交問題として尤も緊要なるものは、申す迄もなく支那問題であらう。日支両国はいはゆる輔車唇歯の関係があって、相倚り相助くべき間柄で、従つて日支親善の久しく唱道せらるるに拘らず、両国の関係は従来も余り親善ではなかつた。殊に最近山東問題の突発した前後から、両国の国交は日一日と悪化して、今や排日の気運は支那全国に瀰蔓して居る。その大概は我が国の新聞紙の記事に拠っても想像出来るが、支那新聞の記事を読み、又彼地に存在せる知人の報告に接すると、更にその激烈一層に驚かざるを得ない。

日支両国は親善なるべくして、遂に親善となり得ざる原因は何処に在るか。之に対して支那の政治家といふ政治家は、皆責を日本に帰して居る。平素比較的よく日本を理会せりと称せらるる人々―例へば孫逸仙とか、林長民とか、張継とか、殷汝耕とか、久しく我が国に留学し、若しくば存在した人々―までも、一斉に日本在来の対支政策を非難し、甚だしきは三百年前の朝鮮征伐まで引き出して、宛も侵略主義が、日本古来の国是なるが如く攻撃する。又我が国の外交を論ずる人々の中にも―殊に最近日支両国の国交が悪化して以来―過去に於ける我が対支政策の欠点を指摘して、この欠点を日支背離の最大原因と認める者が尠くない。(以下省略)」

山東問題」を「尖閣問題」と書き換えるだけで現今の日中の時事問題を扱うた論文になってまうねんからな。日本は政府も国民も大きく変わったが、中国はその政府や民が百年前から全然進歩してへんことに呆れざるを得んわい。「過去に目を閉ざす者は現在に対しても盲目になる」とはヴァイツゼッカーの至言やけども、過去にばかり拘泥して将来を台無しにしてまう国が北東アジアに2国以上あることを、この旧西独大統領はご存知なかってんな。

ともかく、桑原先生の中国を見る目が確かなことは理解でけた思うが、先生は現在の日本人や中国に迷惑かけられてる東南アジア諸国の人々にも有益であろうことも書いておられるんで、それを次回に紹介したい思う。(つづく)