E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

速報・中共崩壊への道(52)

 このブログタイトルのパクリ元である「速報・甲◯園への道」は間もなく「熱闘甲◯園」になるけれども、これのタイトルが「熱闘日中戦」に変わる可能性が今のとこ低いのは有難い。もしか、人民解放軍が「小日本に勝てる」て考えとったら習近平が何と吐かそうがとうの昔に攻めて来とるわいな。中国は国とちごて党が軍をいごかせる世界でも類例の少ない国やからなあ。

 それをエエことに、日本の国会では「安保法制」なる茶番を演じてられんねんさかい、ホンマ平和なこっちゃなあ。政府は常に諸外国の軍事力と対峙する立場にあんねんけど、憲法学者とやらは家と大学の間を単振動さらすだけでエエお気楽な商売やから、呑気に「違憲」やなんて言うてられるねんな。わしも憲法学者を目指すべきやったかなあ?

 新憲法制定の過程で9条2項に「前項の目的を達するため」の一文を入れることを頑として譲らんかったんで、それによって自衛隊違憲にならんかったちゅうことをどっかで聞いたことがある。つまり、この一文があることによって、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」を目的とせん自衛隊を持つことがでけて、その御蔭で今の日本があるちゅう訳やな。

 そんでも過去には「自衛隊違憲」やとして訴えられたことがある。せやけども最高裁はこれを高度に政治的な問題やから司法が判断すべきこっちゃあらへん」言うて訴訟そのものを棄却してんな。これがいわゆる「統治行為」ちゅうヤツやけど、これはそのまま安保法制にかて適用されるべきこっちゃないのんけ?

 政治ちゅうのは最悪のシナリオを想定しとくべきで、もしか中ロが結んで日本に宣戦布告でも見ィ、日清・日露戦争みたいに日本単独で相手でけるワケあらへんがな。

 ほんでから、もしか米から「無名の師」に参加させられそうなったら、それを同盟国の責任として頑として峻拒したらエエねんがな。民主国家では政府の決定の責任の所在は国民にあんねんから、政府がヘンな決定をやらかしたいうたかて、それは主権者としての意識があらへんままにけったいな代表者に票を投じた国民が悪い。民主国家の政治力学の源泉は国民にこそあるねんぞ。

 強行採決を批判するんかて天に向かって唾するようなモンであり、こんな収拾のつけ方しかでけん議員を選んだんは他ならぬ国民やないかアホンダラアホ。つまりの、マスコミが強行採決を批判することはマスコミが国民を批判さらすことと一緒やねんぞ。と申すか、「強行採決」はマスコミがひり出した用語であって、不健全な野党がそれに便乗することがあるちゅうのを国民はちゃんと見とかんとあかんねんど。この語ォを安倍にべったりのはずの産経新聞かてつこてることをどない思うよ?

 政治家は国民を映す鏡であって、国民が理知的やったら議員もそないなるモンやねんやんけ。政党がアホを擁立する問題も確かにあるけれども、それは政党が国民がアホであることを見越してやるこっちゃから、国民の側がカシコにならんと直らんねんやんけ。でもな、国民の大半はわしを含めてアホやねんさかいしゃあないやないか。

 ともかくも、今の憲法はわしみたいなそこらのアホでもおかしいとこあるて認識でけてんのに、それを放置する行政府・立法府は後世の歴史家に大いに批判される思う。ソクラテスの「悪法もまた法なり」は近代法治主義を正当化するために引き合いに出され、時には「悪法を遵守する奴隷根性」や言うて批判の対象になる文句やな。法治を否定することは極端な話が殺人やテロを肯定することになる訳なんでわしゃそない基地外じみた考えに与することはでけん。せやけどもな、近代の国家制度においては悪法を放置することは立法府の怠慢であることに疑いはあらへんし、一票の格差を放置してそれを正すべき主体である国会の権威を長年に亘って毀損し続けた自民を始めとする歴代与党の怠慢・不作為は弾劾されて然るべきや思うど。こら自民、今の安倍政権の苦境はおのれらの旧悪にあることをもっと噛み締めれちゅうんじゃドアホ。(つづく)