「歌うヤカラ」や〇きた〇じん追悼ブログの第二回目である。
わしも最初は彼のことを「た〇じん」言うとったが、伝説の深夜番組「た〇じんのばぁー」のあるシーン見て爆笑したことがあって、暫くしてから「や〇き」て言うようなってんやんけ。なお、発音について解説すると、大阪では「た〇じん」の「じ」にストレス(強勢)がかかり、「や〇き」は東西ともに「や」が強いんが普通やが、わしの発音では「〇」の部分が強なる(←わしゃ何言うとんねん)。
89年の某日、や〇きが家に電話でマッサージ師頼んだら、そいつは中国人で、
「あ、お前や〇きか?ワタシ電話で来たマッサージ師だよ」
て、ゼンジー北京をぞんざいにしたみたいなんが来たらしい。そんでもや〇きは彼にビールを振る舞いながらマッサージをしてもうてるうちに世間話になってんな。ちょうど「六四天安門事件」の直後やったこともあって、
「ワタシの祖国の北京の天安門広場で悲しいこと起こったよ。
や〇きどう思う?」
(いや、どう思う言われてもやなあ…)て思いつつも、まあ適当に返しとったそうや。んでから話は中国の家電に飛んで、
「今の中国冷蔵庫たくさんあるよ。でも電気ないと冷蔵庫冷えないよ」
この時はさすがにや〇きも、
(日本でもそうじゃ!)
て大声でツッコんどったな。せやけど、これは冷蔵庫も電気なかったら冷えへんちゅう話やなしに、当時の中国の電力事情はその需要が供給を大幅に上回っとったんで、停電が頻繁に起こっとることを言いたかったんやろう思う(中国は今でも電力供給が安定してるとは言えんそうやが)。
ちゅうた具合に、や〇きのテレビでの発言録だけで、数冊の本が書けそうである。この連載もその気になれば20回ぐらいは軽く行けそうやな。人の死を何や思とんねん。(つづく)