E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

「新しいみんなの公民」もあかんかった(27)

 宗教について書くんは非常にムズイ。信仰は科学で割り切れんモンもあるからや。おまけに、「靖國神社問題」には数多くの独立・従属変数があって、「これはこうや」て断じれるまでの道のりが結構しんどい。




 ほんでも、まず世間一般の常識からして、国家の犠牲者の全てが例外なく祭祀される靖國神社がマトモな宗教施設には見えんのである。 「それは、靖国が英霊を祀る特別な宗教施設やからや」言われたかて、国が靖国だけを特別扱いなんかしたら、それこそ政教分離に抵触してまうやろうが。参拝するにしても、大臣とかの肩書きを記帳すんのは絶対にやめるべきや。特に、内閣総理大臣肩書きの記帳の影響力は否定でけんしの。




 靖國神社には、祭祀の対象になることを拒否する人のことを慮る姿勢が微塵も感じられんなど、その頑なな態度は第三者から見たら大いに問題のある宗教団体や。仏教徒でもナイ人がどこぞの寺に勝手に戒名つけられてお経を上げられたら迷惑するやろう普通。これは、信教の自由の侵害行為と違うのか?改宗の自由も認めん宗教団体を放置さらすんかィこの国わい?




 ほんでから、韓国・朝鮮・台湾人も「平等に」祀ってるそうやが、これは外国人に対する主権侵害の疑いがあり、ある意味もっとえげつないやろう(現に、彼らの一部からは、靖国に祀られることが迷惑との意思表示がなされている)。せやから、その身勝手な態度が批判されへんこと自体おかしいねんがな。「一旦祀ったら神として一体化してまうさかい、分祀など絶対にありえん」ちゅう、極めて内向きの理由らしいのう。A級分祀がでけんのもこれとおんなし理由らしい。




 宗教団体がどないな教義を建てようが原則自由やが、朝寝新聞のプッシュがあったとは申せ、国内外に問題をばらまくような神社がマトモな宗教施設とはとても思えん。こんなとこに国費で玉串料納めるなんかとんでもないこっちゃ思うし、んなことを司直の場ァで輸贏を争うてアホのすることや。宗教法人格の剥奪はムリやろうが、少なくとも靖国をタブー視することが日本のためになるとも思えんわい。




 それに、あの戦争はホンマに不可避で正当性のあるこっちゃったんかちゅう科学的な考察や戦争全体の総括もなしに、全ての戦没者を英霊扱いすることにも、現代を生きるわしからしたら相当な違和感がある。宗教は科学を超越したとこにあるんやろうが、宗教が科学よりも上の地位を占めてはいかんやろうよ。どこぞの国で「人類はアダムとイヴからでけた」ちゅう教育すんのは勝手やけど、科学・技術立国を標榜する国がんなことではあかんわな。




 こないなしょうもない宗教施設であるにも関わらず、何も考えんで二礼二拍一礼を捧げる国民にかて問題あるやろう。「靖国で会おう」を掛け声に戦場に散った将兵は多かろうが、それはその当時の空気が言わしたセリフであって、「数百万柱」を超える「神々」の当時の心境はいかばかりなものかと思わずにはおれん。当時は靖国を否定する発言なんか絶対に許されへんかってんからの。それに、ここの賽銭は靖國関係者の懐には入っても、国庫には入らんので、どないな使われ方されるんか分からんのである。




 ただ、どんだけしょうもない宗教団体や言うたかて、靖国は日本の宗教法人法に則って設立された宗教法人やし、その参拝に外国から文句を言われる筋合い違う。せやさかい、首相や閣僚連が私的に参拝すんのは信教の自由もあるし好きにしたらエエのだが、あんまし感心でける行為とは違うだけのこっちゃな。安全の問題があるさかい閣僚にSPが付くのんはしゃあないが、秘書らの随行・公用車乗り付けや玉串料の公費負担は批判の対象になるやろう。タクシー代ぐらい出せちゅうんじゃいセコいのう。




 神道を宗教と違うて主張する連中もおるらしいが、それはムリもエエとこやろう。全国の神主の長でもある天皇は、竹田恒泰・慶応大講師によると、一年三百六十五日欠かさず国家と国民のために祈りを捧げておられるそうやけど、抑も「祈り」が宗教的な行為やちゅうことを否定する人は余程のヘソ曲りやろうし、その宗教性を否定するちゅうことは、同時に天皇の日々の行いを否定することになりはせんかの?それにや、宗教でなかったら宗教法人としての税制上の優遇措置も受けれんことになるんやけど、そんでもエエのんけ?




 昭和天皇靖国親拝が杜絶した理由としては、三木武夫が首相在任中に私的参拝を主張したからやちゅう説と、A級戦犯合祀がなされたからやちゅう説が競合しとるらしいが、わしはやはりA級合祀説が有力や思う。日経がその存在をスッパ抜いた「富田メモ」や、他に「卜部日記」が存在したからだけやなしに、日本の国情を知るのに熱心な昭和天皇が、時の内閣総理大臣の動静や発言に無関心であったとは到底思えんのんで、三木のコックリの「私人」発言を親拝停止の理由とすることは、時期的にも不自然や思うんである。A級が全員罪人であったかどうかはまた別の問題やけどな。アーリントン国立墓地の日本版がでけた暁には、A級云々やなしに、徒に多くの将兵を死地に追いやった軍人と政治家を除けて祀ることを希望する。これやったら天皇親拝が復活する可能性はある。




 226を起こしよった皇道派将校は天皇を利用するだけの連中やったし、昭和天皇は機関説問題に際して「天皇は国家の最高機関である。機関説で良いではないか」と発言し、美濃部達吉を庇ったらしいがな。むしろ危険なんは、上杉慎吉のごとき天皇の権威を肯定しつつそれを利用しようとする連中やちゅうことを、この名君は知り抜いてたに違いない。21世紀の世にも、皇道派みたいな不逞の輩や、そいつらの暴走を止めれんかった役立たずの政治家ばっかしか。そうでなかったら、靖国問題なんか起こらんかったのと違うか?「君側の奸」とはかかる鼠輩を指すんやろう。後は無知なネトウヨに徒に平地に波風を立たす無責任なサヨクばっかでは、あまりにも悲し過ぎるでホンマに。(つづく)