E-BOMBERのアホアホブログ

アホなことであろうが何であろうが、わしは書きたいことを書く。ガンバレ○神タ○ガース!

「新しいみんなの公民」もあかんかった(26)

 わしら日本人は、新憲法で認められた範囲内での自由権を行使することがでけるんであって、人を殺す自由などは当然ながらナイ。それは、反社会的な行為として刑法で禁止されとる。つまり、自由と自儘とは全く異質なモンであるちゅう訳やが、それを分かってへん中高生とその保護者たるモンスターが近頃増殖しとるみたいで困るのである。




 「スーパーで買い物しとったら警備員に別室に連れてかれた」「学級新聞に誰々がふざけて花瓶割ったて書こうとしたら止められた」これらが自由権の侵害に当たるんかちゅうことを考えさそうとしとるが、答えは無論どっちも自由権の侵害には当たらん。でも、これには大いに引っかかる。自由権の侵害になる事例も挙げやんと理解しにくかろうし、少々のことやったら自由権の侵害にはならんと誤解される虞があるからや。




 自由権の侵害の分かりやすい例は「冤罪」やろう。冤罪では言葉が難解やちゅうんやったら「無実の罪」ででや?大概の小学生には、格子戸とか見たら「俺は無実だーッ」ちゅう習性があんねんさかい、ほとんどの中学生に問題なしに受容されるやろう。公務員の無謬性なんかわしは絶対に認めへんし、それに、警察が特定の政党の圧力団体且つ集票マシンであり、それが原因で捜査が歪められてまう危険があることを知ってても全然損することはナイんである。




 表現の自由言うたら「チャタレー裁判」や「愛のコリーダ裁判」「四畳半裁判」とかが分かりやすうてエエで。別に何も「チャタレイ夫人の恋人」とかの内容まで教科書に載せ言うてんのんとちごて、「猥褻な表現については表現の自由に制限を加えるんが道徳上妥当である」との最高裁判例を載すだけで十分やねんからの。もっとも、時代の変遷によって性に対しての見方にも変化が生じて、今では「チャタレイ」なんかよりももっとえげつないのんがようさんあるちゅうことも付け加えれば、より理解が深まるちゅうモンやで。教科書と雖も、分かりやすさのためには、多少の逸脱があってもかめへんのと違うけ?




 さて、ややこしい「靖国」の問題が出て来よったか。この問題のややこしさの原因は所謂A級戦犯の合祀やな。A級を分祀したら一応はこの問題に決着がつくが、靖国にはそないな意向はあらへんらしいし、もしか国が分祀を求めたりしたら、それこそ政教分離に違反してまう。それに、朝寝新聞がこれを中韓外交カードに仕立ててしもたことが事の起こりとは言え、国を靖んずる筈の神社が国を危ううにしとんねんさかい、何とも皮肉な話ではある。




 靖国神社問題については腐るほど出版されとるが、その大半は駄本で読むに価せんと宮崎哲弥氏はどこぞの書評欄で書いとったが、そんだけ議論すんのが難しい問題なんやな。せやから、これについてわしみたいな門外漢が嘴を突っ込むんは無謀なんやろうのう。せやけど、これは我が国の抱える最大級の社会問題かつ国際問題であることに間違いあらへんさかい、避けて通る訳にはいかんやろう。次回はこわごわながらこれについての管見を書きたい思う。一体何時なったら公開でけることになるやら分からんが。(つづく)